東京芸術劇場 プレイハウス 芸劇オータムセレクション イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出作品上映会 『じゃじゃ馬ならし』

 まず、オランダで記録映像撮った人(と、今や全世界の演劇配信映像を撮るすべてのひと)にいっときたいのだが、ファーストシーンはあなたが考えている倍は大切なので、コマを割ったりしないでほしい。インタビューがかぶるとか最悪だ。まさにinvasionである。あ、英語使いました。ここはテーマとあってるから良しとする、とかなしでお願いします。

 侵入する侵襲する侵害するというのが芝居のテーマになっている。カタリーナ(Halina Reijn)は世界の侵襲に悩んでいる。街の喧騒から猥歌、ヘアスプレーまで、彼女を苦しめるものは後を絶たない。

 主人ルーセンシオ(Eelco Smits)の身替わりとして「男たち」に加わるトラーニオ(Alwin Pulinckx)は激しいハラスメントを受け、「自分であること」を侵害される。ハイネケンの箱は舞台に侵入し、家庭教師に化けたルーセンシオはビアンカ(Elise Schaap)のいるガラス張りの家に入り込んで彼女とうまくやる。ビアンカには求婚者が「殺到」し、トラーニオにはふざけ半分で男たちが「押し寄せ」、押し潰す。カタリーナは指を怪我するし、終盤観客席に向かって静かにしろとペトルーチオ(Hans Kesting)が虚実まじえて話しかけるシーンでは、現実がフィクションに侵襲され、芝居は現実に侵害される。苦しむカタリーナにペトルーチオは「食べ物」「眠り」を侵入させない荒療治を行う。おえっとなる場面の連続だが、野蛮で嫌悪感があるのに何故かぎりぎり品はある。役者が総て引き受けているからだ。だがやっぱり、小児的ですきになれない。どれも安易すぎる。

 最後のカタリーナの台詞は物語を収めるのにかなっているけど、表面だけ見ているとおえっとなる。侵入的だったカタリーナが、「宥和」「共調」を求めているみたいだ。これ、姿を変えた侵略だろか。