彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 彩の国シェイクスピア・シリーズ第37弾 『終わりよければすべてよし』

 曠野である。ひとすじの風、空気を孕んだ何者か、または笛のような音がして、真っ赤な野の草をふと揺らす。

 あっ にながわさん

 一瞬空を見上げるような気持になり、「ここ」があの世とこの世の通路であることを感得する。赤い野原(曼珠沙華らしい、そう見えないけど)はルシヨン公爵夫人(宮本裕子)の屋敷であり(赤いカーテンが外の闇を見張っている)、ヘレン(石原さとみ)の書斎であり(血肉のある赤い人体模型と目に黒い死を溜めた骸骨)、血を吐き死にかけたフランス王(吉田鋼太郎)が、バートラム(藤原竜也)に不意に幻視する昏い死の世界である。ダイアナ(山谷花純)のベッドに入り込むバートラムの情欲で花は一層赤く燃え上がり、次には生き恥を呑み込んで生きるパローレス(横田栄司)の、決しておさえこめはしなかった恥の色になる。ヘレンの朽ち葉色のドレスが、吃驚するほどバートラムの紫の軍服と似合わない。ここがポイントですね。ちぐはぐな二人。想う人の冷たい台詞で追い払われるヘレンの心細そうに曇った眉、戦場へ追いやったのはわたしと心から叫ぶ声(こんな男なのにね)、浮気な若者を世界一の男に研ぎあげる彼女の恋が、年配の私をほろりとさせる。冬は棘をつけ枯れたように見える薔薇も、夏には美しい花を咲かせる。黒と赤は別々のものではなく、同じ一つの異なった姿なのだ。とってもロマンチックに仕上がっていたけれど、

 ヘレン:自分の好きなように手放すにはどうすれば?  という、徒手空拳の身の上で、娘がありったけの知恵を使って世界に挑む冒険ものとして観たかった。藤原竜也、もっとわがままで。嫌われていい。最後に浄化されるから構わないよ。石原さとみ、最初舞台を駆け回る意味が解っていない。溝端淳平、最初のシーン、明度を落とす。山谷花純、最後の訴え、ちょっと芝居大きい。