東京芸術劇場 シアターイースト 『カノン』

 閉塞感!出られない!という気持ちが、冒頭、舞台に飛び出してきた役者たち(見たことあるようなプロジェクション・マッピング)を見ながら付きまとう。空の額縁に取り囲まれたここは、テレビやネットに心を支配されている私(或いは彼)の、たった一人の部屋ではないのか。

 天麩羅判官(渡辺いっけい)配下の生真面目な牢番太郎(中島広稀)が平均台の端から歩いてき、もう一方の端から『自由』を求め『自由』を奪おうと、「目的を持った盗賊」と化した太郎が歩いてくる。両端から激しく燃える蝋燭のように、それが黒煙を上げて燃え尽きた後には、「あさま山荘事件」での、苦い70年代の挫折がけぶっている。けどこれ、巧く読み替えられていて、私の心の中には、芝居を観た後、ネットをさまよう狼のような青年が見えた。いくつもの追いかけあうカノン。昭和のたくさんの事件が心を掠める。野上絹代の演出は、「ふーん、やるな」って感じである。面白く軽やかに、つらく真剣に、次々と目まぐるしく展開してゆく。だーけーどー。最初から喉の開いてる役者は猫役の名児耶ゆりと海老の助大村わたる(サンバちゃんとやれ)の二名だけ(ベテラン除く)、あとは胸から声出してるので頭悪そうに見える。あるシーンを受けた次のシーンの第一声が前のシーンの世界を受け止めきれてなかったり、シーンのつなぎの速度がのろかったり、ちぐはぐである。ヒロイン沙金のさとうほなみは「冬の枝」のように水気がなくてぽきぽき、内省がない。李麗仙の台詞回しに微かに似てるけど、李麗仙は距離感がびしっとしていた。距離感大切。「不滅のジャスミン」を見習え。

 三角関係の緊張を最も表現していたのは次郎の小田龍哉である。小田は登場時の開いた左腕の肘が、すっと伸び、知を感じさせてとてもよかった。