Bunkamuraザ・ミュージアム 『ザ・フィンランドデザイン展』

 北欧の森には白樺やトウヒが生え、木々を通して斜めに白い陽射しが地衣類の上に丸く落ち、道を歩くものになにか波動を送ってるみたいである。フィンランドの人口は福岡県と同じくらい、けど国土は日本と変わらない広さだ。人が少ない。森が近い。

 1917年にロシアから独立して後、観光はフィンランドの重要な産業となった。この展覧会では1940年代の観光ポスターもいくつかある。その洗練されてゆきっぷりが凄いのだ。1948年のポスターは、フィンランドの民族衣装を着た綺麗な(けれどもっさりした)女の人が高く右手を挙げている。黒い胴着、白いブラウス、赤に縞のスカートをはいていて、後ろにはフィンランドの地図と美しい景色が重ねられている。フィンランドって、スカートの座る女の人っぽい形(手も上げてる)をしているところから、「バルト海の乙女」って呼ばれたらしいんだけど、このポスターは、そのまんま。そしてもっさり。しかし、50年代に入ると「モダニズムがきました!」って感じに急激にお洒落になる。モダニズム、それがどれだけ大きな思潮だったかってはなしだ。若い国フィンランドアイデンティティモダニズムに求め、三段跳びのように美しいグラフィック、美しい工芸、美しい実用品を作り始める。

 このさまざまなものの並ぶ展示の中で、いちばんすばらしかったのは、グンネル・ニューマンのガラスですね。分厚い透明ガラスの内側に、ほんの一皮、一層だけ薄く白の顔料が掛けられ、全体はどっしりしているのに、『卵の殻(1948)』であることが自明なくぼんだ器、それから大きさと形、くぼみ方は『卵の殻』と似ているのに、薄いピンクのガラスの上にやっぱり一皮透明ガラスの層が載り、縁のうすい、削ったシャープな感触が容易に『バラの花びら(1948)』を連想させるとても感覚的な作品など。くぼんだ所が一か所ぽつんと、花びらのように透明なんだよね。(『バラの花びら』の表示が「Rose leaf」になってた。あれまちがいだろ)もうひとつ、『オランダカイウ(1946)』というグリーンの花瓶も、内側が白くて、切れ込みの形がほんとにカイウ(カラー)のようだった。ニューマンが、どれだけよく卵やバラやカイウを見つめたか、そのことが作品に如実に表れていて、私は詩を――特に写実を尊ぶ俳句を――思った。ここにはフィンランドの森の波動が、工房のなか、炉の火の中まで、かすかに、きれぎれに聴こえている。その細い遠くから呼びかける音を、よく聴きとったなあ。

 逆に、このいろいろ明るくてかっこいいもの揃いのフィンランド展で、陶器の展示がちょっと低調。「森の波動」と「思想」がぶつかっちゃって、「落としどころを間違えた」って感じがした。ビルゲル・カイピアイネンの、梨が皿から半分立体で飛び出しているプレート(1970年代)とか、ティモ・サルパネヴァの『フィンランディア叢氷(1964)』のごつごつしたカブトのような氷を模したガラス作品とかね。(うーん)ってなりました。「思想」が「森」を凌駕しちゃってる。

 他にマリメッコを生むに至る優れたテキスタイルの数々や、トーベ・ヤンソンの展示など。工房にテキスタイルを選びに行くフィンランド家庭の人々の話が、すんごい羨ましかったです。