フジフィルムスクエア 『写真家・平間至の両A面アー写/エー写』

 んー。ワカラナイよぅとしゃがみこみたい気持ち。会場の、入り口に向かって左手に、ミュージシャンの写真が並び、右手には写真館で撮られた、市井の人々の写真が隙間なく架かる。『写真家・平間至の両A面アー写(アーティストの写真)/エー写(営業写真館の写真)』と題された、この両A面の、違いって何?

 左側のアー写の中で目立つのは、布袋寅泰の2012年の背中だ、鋭い三角形にいくつもの光源が光を放ち、オーケストラを向く布袋の大きく開いた細い長い脚(その右の踵はたぶん、拍を取るためか短い一瞬、宙に浮いている)がまた三角形を象る。ギターはぴったりと体に沿い、上半身は左肩が前に出て、「ギターを弾くための身体」と化している。かっこいー。シャープな音が来るなという予感がするよー。ミュージシャンがこんな風に撮ってほしいと願うその一つ上って感じ。それがアー写?じゃあエー写っていうのは?写真館のお客さんたちは写真の中で、「いま、私を撮って」と皆口々に囁いている。正直、はしゃぎすぎたり、自己陶酔的になりすぎて、時折、「ええー」と思う写真もある。クラリネットに顔を寄せている女性の写真とか、批評性がなさすぎるよと目を伏せた。身も蓋もないけど、これら両A面に違いはないよね。私を撮って。こうした野放図な自己表現の上に流れるのは、小さくて怖く、大きくて優しい一つの言葉だ。「いずれ死ぬ」。あらゆる物の生きる一瞬はどれも死に近づく。平間はその一瞬を引き留めてる。アー写の中にはもう死んでしまったミュージシャンの写真があるし、自分の遺影を撮りにやってきた、物の良いウールコートを着た男の、曰く言いがたい眼――かなしみとやさしい心遣い――をしたエー写もある。いずれしぬ、いずれしぬ、と呟きながら展示の写真を見ることで、一枚一枚のしらない人たちが、途方もなくひかって見えてきたのだった。