五島美術館 『春の優品展 古今和歌集を愛でる』

 手習いしたことない。硯洗うのだいきらい。そんな人が、上野毛駅徒歩5分、界隈の家々がゆったり建つ、五島美術館に来ました。ウグイスが鳴いている。しずか。今日の美術館の特集は、『春の優品展 古今和歌集を愛でる』だよ。書だねぇ。

 まずね、作品が傷まないように、展示室が暗い。「猿丸だゆう」とメモ帳に鉛筆でメモしていたら、美術館の人がそっと近づいて、「これおつかいになりますか?」とバインダーを差し出してくれる。ああっありがとー。しんせつー。この後別の人からもう一回バインダー使いませんかと控えめに尋ねられたうえ、受付の人に拡大鏡まで借りました。

 展示の1番目は業兼本三十六歌仙絵、猿丸大夫の像と歌が並んでいる。

   おくやまにもみじふみわけなくし

   かのこゑきくときそ秋はかなしき

 この歌仙絵は13世紀の鎌倉時代のもので、猿丸大夫は生没年不詳の謎の人物なのに、なんか見てきたように描いてある。金壺まなこ。直衣(昔の人の四角い上着ね。のうし)も形式的ではなく、猿丸大夫の体つきに添う。どういうか、体を内側に巻き込んだみたいな。身体の丸まっている老人なのだ。この絵につけられている歌の書体が、とてもきれい。というとこまで認識して、ぱっと展示室を振り返る。目録をざっと見て、60点の書画が並んでいる。古今集の受容、昭和の書家の字まである。これじゃとても見きれない、と急いで一周し、菅原道真の「紫紙金字経切」っていうのの「一」の字に注目した。鋭く上手。道真の漢詩っていうのも、頭一つ抜けて上手だったよね。しらんけど。この「一」は、きっぱりしてゆるがせにしたところが全くなく、何度か繰り返して書の中に現れて、どれも迫力ある。ねー。素人にわかる。流されちゃうよねー。やっかまれちゃうよ。才質明らかだもん。最初の猿丸大夫の歌の書体を探してきょろきょろしてたら、「高野切」に行き当たる。んー、さっきの猿丸より全然いいよ。この書体を写したんだね。

 うくひすのなくのへことにきてみれはう

 つろふはなにかせそふきける         

 ふくかせをなきてうらみようくひすは

 われやはゝなにてたにふれたる

鶯の鳴く野辺ごとに来てみればうつろふ花に風ぞふきける

吹風を鳴きてうら見ようぐひすは我やは花にてだにふれたる

これが「水茎」なんだってわかるねえ。文字が息してるもん。線がそよいでる。高野切というのは古今和歌集を写した最古の写本で、みんなこれを手本にしてるんだそうだ。さっきの猿丸の歌の二行目の文頭が、鹿の「か」から始まっていることを考える。行を等分にしてる。たぶん、これ、デザインですね。一番上が小さい字のほうがバランスがいいとも思ったのかもね。ちょっと、理に落ちるな。と、おもって高野切を見ると、筆字は「うくひすの」でいったん切れ、「なくのべ」は濃く、「ことに」はうすく、「きて」がまた濃く、「みればうつ」までがうっすら、「かせそ」が濃くて「ふきける」がすぅっと薄い。そして、濃い筆字が、右から左へ階段状に低くなっている。生きた文字、植物みたいにたおやかな文字が、濃淡とすきまと空白を取り混ぜて表現され、観ているうちに春のぼんやりした白い明るさが、料紙の上に花影を落とし、ウグイスが確かにそこにいたと思えてくる。波打って風に揺れているのは、花なのか影なのか。写真と絵と映像と、すべてを混ぜたものが「高野切」のころの「文字」だったと知った。

 

あのさ、単眼鏡売店で売らないの?とても見にくいよ。ここでこそ、単眼鏡の出番じゃない?