浅草公会堂 尾上右近 自主公演 第七回『研の會』

 「雷門の先、二つ目の通りを右折、」観光人力車のお兄さんに教えてもらって角を曲がる。ぎらりと白く道が光り、暑いぜあさくさ。浅草公会堂の今日は、尾上右近の自主公演第七回『研の會』だ。

 演目は『夏祭浪花鑑』と『京鹿子娘道成寺』となっている。門外漢のわたしも、この二つがすんごい大きな作品で、どっちか一つでもとっても大変なんだと何となく知っている。アナウンスで右近が簡単に筋を説明し、ちゃりりと花道の開く音がして、釣船三婦(中村鴈治郎)と、団七九郎兵衛(尾上右近)の女房お梶(中村米吉)が井桁の着物で登場。そこへ駕籠が、この芝居を動かす陰の主役、磯之丞(中村種之助)を運んでくる。この駕籠の人足(中村鴈大、市川新次)が、よく日焼けてて臨場感。月代青いの、惜しい。三婦は磯之丞を助け、因縁を知って茶屋で落ち合うよう計らう。額にかざす扇子が何となく磯之丞を世間知らずに見せ、すこーし可笑しい。上手から曳かれながら浅黄の着物の囚人団七九郎兵衛がやってくる。げんきない。足取りに力なく、足の運びが二列で平行。あ。なんか躰かたい。一回息吐いてー。うーん。台詞聴けてないな。喫茶店とかで見かける会話の下手な人みたいだ。舞い上がって耳があいてない。釣船三婦との「そんなら…」「団七」という呼吸もあってないよ。一寸徳兵衛(坂東巳之助)と、気勢い同士の立ち回りになり、高札を抜いてたたき合う団七だけど、なんかね、その立ち回りが、「全体の一部」だってことが希薄になっちゃっている。すべてを内包するはずの「団七と一寸徳兵衛、立ち回りのこと」みたいな一条、目的があやふやなの。細部に一生懸命だから。お梶の仲裁はきっぱりしていて声も凛凛と出ていいのに、団七は聴けてない。耳開ける。肩の力抜く。

これはこの演目の白眉、殺しのシーンでもいえる。義平次にざっと追いつく団七のスピードが素晴らしく、のっけからワクワクする。右近も巳之助も非常に集中していて、その集中が全く切れない。芝居の呼吸はあっているし、団七の心理も細やかに描かれる。巳之助の義平次は、あっそれ以上やっちゃダメぐらい迫真にやな奴であった。

ところがいざ殺しとなって団七がぎっかりとキマる場面、ここもまた「全体の一部」であることが見失われがち。団七、キマッてないぞ。「そこだけ」、何回も浚った?「殺し」との感情的つながりをきちんと出す。

30代の体力の充実した、とても集中した芝居だった。右近と巳之助、みにきてよかったなあ。

 

京鹿子娘道成寺』 一時間かかる大曲であることに、ビビりながら観る。でもあっという間。笠をもったり鞨鼓を打ったり、美しい着物の引き抜きが何度も行われ、かっこいい三味線がまるでB’zのギターみたいに背骨に入ってくる。中村種之助中村米吉の能力も、まったくゆるみがない。鐘と白拍子の間に緊張があることが、時折位置取りで明確になる。右近が踊りながら、「踊りそのもの」、んーと、三昧境っていうんですか、そこへにじり寄っていくのがよくわかる。けど…けど、いっていいですか?イメージがみえないよ。これ、全体がわからないって言葉でまとめていい?右近、観客をどこにつれてくの?はっきりね。