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こまつ座 『太鼓たたいて笛ふいて』

国が作り出した物語。「戦争はもうかる。」

 その時流に乗って、いろんな人がいろんな商売を考え、世間を渡っていく。林芙美子大竹しのぶ)もその一人になってしまう。従軍して、戦場をいい文章でレポートする。それってどうなのか、といまならいえるのか。いえないね。つい最近だって、原発を巡って同じようなことが起きている。「でもウソッパチな物語を信じ込んでいたことではみんな愚か者よ。そんな物語をつくりだしたやつ、そんな物語を読みたがったやつ、だれもかれもみんな救いようもない愚か者だったのよ。」

 物語が流布するのは仕方のないことだ。しかし、その物語に異議を申し立てる力――小さな勇気――が個人に、いやこの芝居を観ているこの私にいま、問われていると思った。どうしよう。弱虫なのに。

 二幕の「八」。

 「その廊下から、芙美子があくびを噛み殺しながら出てくる。「七」までの芙美子とはまるで別人、多少疲れているものの、しかしひたむきな気合いにあふれてもいる。」

 と、ト書きに書かれている芙美子が、舞台にそのままあらわれる。びっくりする。それまでと、質感も量感も、変わってしまったように見えるのだ。貧乏生活を売りにしていた胴間声の芙美子とも、軍に同行した芙美子とも、そのことを悔い、痛切に苦しんでいた戦争末期の芙美子とも違っている。年を取っていて、かろやかだ。戦争に加担して犠牲者を生んだ贖罪のため、腕が折れるまで書く、と心に決めている。その決意が、存在に軽みをあたえているのだろうか。その軽さと裏腹に、芙美子の眼には障子の桟が原稿用紙に見える修羅が映っている。原稿は欠け、汚れ、失われていくけれど、芙美子の書いた文章は残る。気が付けばちょこっと涙が出てるのである。勇気だよ。勇気。