鶯谷 東京キネマ倶楽部 No Lie-Sense

 鶯谷。エロス(ホテル街)とタナトス(墓地)に挟まれたところ、とか言いたいけれど、実際には正岡子規ののどかな影とかも感じられ、ひょろ長い、不思議な街だ。だいたい、行けども行けども喫茶店がない。延々と続くホテルの数に、ほんと、びっくりする。だまし絵みたいな路地の一角に東京キネマ俱楽部はあって、往年のとんがった音楽少年少女が、そのまま年を取ってここに集まる。

 おんぼろだけど何となく格のある、おばあさんの「もとスカーレット・オハラ」のような劇場で、舞台下に貼られたゴブランみたいな布地と、下手(しもて)のちょっと小高くなった小舞台がその気持ちを強化する。なんだろこの劇場。ドレープを寄せた舞台後ろの幕には、青い照明が当たってる。薄くテノールの甘い歌声が流れ、それが1つでなく2つで、マーチがそこにかぶってきて軍靴の行進のよう。ちょっと怖い。Nothing is forever というナレーションがあって3拍子の曲の2回目の繰り返しのとこでメンバーが舞台に上がる。

 『マイ・ディスコクイーン』。月火と水木金、とうたうとこが調子よくて好きな歌だけど、意味はさっぱり分からない。「ダダ面を下げて」とあるからダダイズム詩人のことだろうか。いや、そんなことよりも鈴木慶一の声の出てなさに凝然とする。これ、「歌えてない」っていうんじゃない?たぶん、思ったより「歌えてない」ということに気づいたKERAが、ぱっと自分の音量を上げてカバーに入る。それとも鈴木慶一自身が「音量を上げて」と合図を送ったのかな。ええと、『ah-老衰mambo』を聴きながら(老衰は病ではない)、自分の老衰について考えてしまう。鈴木慶一は、涼しい顔で声を出し続けて、実にクール。お金の取れる歌ではない。ていうか前衛?2022年に鈴木の歌を聴いたときはよかった。何が起きた?結局アンコールで多少持ち直したけど、前半の声の出てなさのリカバリーはできなかった。

 喉やばいとき(のどの調子が悪かったんだって)、「できてたことができなく」なったとき、自分はクールでいられるか。喪い続けることの衝撃に耐えられるか。Nothing is foreverやん。No Lie-Senseのライブ自体、単独では2017年以来初めてなんだってさ。コロナの影響もあるだろ。ざんこくな時代だったね。そのかわり、バンドのメンバー、KERA、鳥巣田辛男(高野寛)はとても頑張り、特に高野寛のひゅーっと上がる集中した高音部は素晴らしかった。緒川たまきが出演してきっちりまとめ、下手(しもて)の高い舞台でいいトーンではがきを読んだ。ドラムス(イトケン)の難しい拍子もかっこよく、ライブの締めの、音の切れ際がすべてを浄化する。けどね、私あんま楽しめなかった。ずっと失うことについて考えてた気がする。鈴木慶一、つぎはしっかりね。前衛なら前衛でいいよ。体幹を鍛えよう。