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彩の国シェイクスピア・シリーズ番外編 蜷川×シェイクスピア レジェンド第二弾 『ハムレット』

 廃屋となった長屋。濃い靄の中で、それは死んでるように見えるのだが、硝子の向こうに、ひっそり灯がともる。死んでたんじゃなかった。目を覚ましたのだ。

 19世紀末の日本、みんな下駄やゾーリを履いていて、印判手のお茶碗で山盛りのご飯に少ないお菜を食べ、湿った地面にどぶ川が流れ、もうシェークスピアをやっていた。その時間の連なり。それが、直に、胸に流れ込んでくる。遠い世界との、風に流される糸電話みたいな、ほそーい、頼りないつながり。ある時には、それは綱の端でも握っているような確かさになる。それが繰り返されて、長屋は段々、地霊のように感じられてくる。靄でかすんだり、現れたりしながら時空を越え、実在と非実在を超える。たましい。不気味であって、懐かしい。役者の実在もあいまいになっていく。そして靄が客席にかかると、隣にいる人も、自分も、夢と現実、生死の境目の、わからないだれかになるのだった。

 ハムレットって切り口満載。主題は幅広くて深い。おかずが多すぎてどれから食べていいか迷う。どうする。

 私にはやっぱり家庭劇のように思える。悲惨な運命劇、父と母と息子をめぐる復讐劇、それらすべてのたましいを鎮めるため、演じられる夢幻の世界。最終場の後、ひとの去ったがらんとした舞台の長屋は、昇華されて静かな水鏡に映る陋屋のように見えた。

 声を操るってむずかしいものだなーと思った。フォーティンブラス(内田健司)の小さな声は鋭く考え抜かれたものだ。オフェーリア(満島ひかり)の硬質な声と演技はよくあっている。レアーティーズ(満島真之介)は頑張っていたけど、叫び声が一回素になっていた。そしてハムレット藤原竜也)は悲憤する内心をいつもフルレンジで表現する。惜しまない所が良かった。