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柿喰う客 『虚仮威』

 身体能力が高くて、手足や表現にインテリジェンスがあって、歯切れがいい劇団。思えばそんな劇団、いくつも見てきたのである。観劇の時系列。広げた指先、やすやすと装置をのぼる足、いっせいに撚れる躰、それは観客である私の過去の「若さ」ともつながっている。

 連続性。過去の様々な演劇とつながり、老―若という形でカラダもつながって、それは驚くほどのグラデーションだ。柿喰う客の『虚仮威』は、時間や時代、セクシュアリティを「連続するもの」として考える芝居だったと思う。

 深夜二時。「彼女」(七味まゆ味)に「すぐにあいたい」と呼び出された「僕」(牧田哲也)は「彼女」の家に向かう。「僕」には小さな娘がいて、プレゼントを待っている。帰りを急ぐ「僕」に対して「彼女」は、東北の寒村の、ある地主の家の物語を語り始める。それは大正時代、ひいおじいちゃんたちの物語だ。ここでもうすでに、血脈として連続性が登場している。作中では河童と人の婚姻や、山の神が次第に力を失っていく顛末が出てくる。河童は人の果てにある者としてえがかれ、山の神の衰微は「対立軸の登場」とのつながりの中で現れる。特筆すべきは男―女のセクシュアリティが対でなく、揺れる連続としてカラダを通して具現化することだ。ネタバレしないようにむずかしくいってます。ここ、とってもスリリング。そして独自。おもしろかった。天皇崩御の知らせを受け、畏まる身体にも、連続性を感じ、少し怖い。

 閉じるフタの「ザクッ」という音(私が勝手に頭の中で聴いただけ)で、一旦全てが切断されるというかっこいい作りになっているのに、現代パートのそこが、何だか薄手で、「ぶれた」という印象で終わるのが惜しい。