東京芸術劇場 プレイハウス NODA・MAP 第23回公演 『Q:A Night At The Kabuki』

 市松人形のように切りそろえたおかっぱ頭をゆらゆらさせ、ひとつ、ふたつ広瀬すずが台詞を言うと、唇がまるで手塚治虫の描く王女様のそれのように光っている気がする。分厚い髪の間から覗くあごは白く、首筋は可憐に細い。まるで「乙女心」に服を着せたみたいで、ベッドの上に起き上がっている姿に、何か強いショックのような郷愁を感じる。これが、「面影」ですよねー。ここまでで広瀬すずは、役割の七分どおりを果たしているわけだが、あとの二分、「集中力を持って演技する」も完璧だ。抑制しつつ表情はくるくる変わり、いうことない。ただねー。舞台は「台詞をきちんという」のが大切。マスト。声が撚れて、きちんと発語できてない。劇場の、とくに後ろの席ではね、声が表情のひとつ。松たか子とかだと、繻子のリボンにアイロンかけて、念力で空飛ばしているみたいに聴こえるでしょ。従ってこの野田秀樹の『Q』は、シェークスピアパートが弱い。演出にも修正する粘りがなかったように見える。

 墓標でありベッドである「もの」の上で、それらの「ある」場所で、一種の歌舞伎、一夜のオペラが繰り広げられる。楽曲はクイーンだ。

 ある男(それからの瑯壬生《ロミオ》=上川隆也)が俊寛のように置き去りになり、彼のてがみを携えてもう一人の男(平の凡太郎=竹中直人)は30年後、女(それからの愁里愛《ジュリエ》=松たか子)を訪ねる。この凡太郎の造型がとてもよかった。窪んだ眼窩を黒く塗り、傾げた首をすこし慄えさせて、おびえたようなかんじが新しい。平清盛も、がんばってほしい。

 平の瑯壬生の志尊淳、かっこいいし生き生きとやっているが、スローモーション(特に上手から下手に抜けるやつ)まずい。巴御前(伊勢佳世)、前半ふくらみが足りない。派手に行きましょ。