PARCOプロデュース2018 『ハングマン HANGMEN』

 キルケゴールって、教会の庭って意味。

 とか、ちょっと言ってみたくなるほど、キルケゴールは遠い。イングランド北部オールダムも遠くパブも遠い。訛りはゆるく皆巧みに演じるが遠い。「いま、ここ」にいない。唯一信じられるのは十五歳の娘シャーリーを演じる富田望生だけ。シャーリーは「ここ」にいる。貯水池のように「芝居の水」をその両親(ハリー=田中哲司、アリス=秋山菜津子)に分け与える。マーティン・マクドナーの世界と日本の「いま」をつなぐ要になっているのだ。アラン編みの白いカーディガンが、少し太めのかわいい人形に着せたみたいに、ぱつんぱつんにフィットしている姿をみると、この娘を好きにならずにいられない。その芝居は新鮮で正直だ。他のキャストも、もっとパブでリラックスしていたらなあと思う。特にムーニー(大東駿介)は、背骨がうねうねになっちゃってるイワシの骨みたいな役で、ものすんごい難しいと思うが(シャーリーとのやり取りの性的な感じがよく出ていた)、その場その場に「いる」のを目標にがんばってほしい。宮崎吐夢が好演している。「わけがわからない人」がちゃんと成立していた。

 1965年、イギリスで死刑が廃止された。新聞記者クレッグ(長塚圭史)が「イギリスで二番目」の死刑執行人ハリーにインタビューを取りに来る。同時にハリーが経営するパブには、冤罪で死刑になってしまったのかもしれないヘネシー(村上航)とのかかわりを匂わせながらムーニーがやって来る。

 死という暴力を人にもたらす尊大な男。その決定は私たちのそれと同様穴だらけである。理不尽だった。理不尽はハリーをも襲う。暴力というものは皆、理不尽だけど。