世田谷パブリックシアター 『室温~夜の音楽~』

 観に行くと大抵が上下二層に割られている河原雅彦演出の舞台の中で、今回のセットが一番緊(しま)っていていいよ。内、外、二重に混ざって見えるよう、ぴしっとまとまっている。或る家の洋間の壁の続きに崖の擁壁のコンクリートパネルが素知らぬ顔でつながり、上手から、細く広告をのせた電柱、赤いポスト、笠のあるスタンド、西洋甲冑と続く。下手には高い照明が星明りの様に階段を照らす。階段は(外)と(内)にさりげなく分断されている。バンド在日ファンクのホーンセクションがいきなり重い。なんかこう、内外を行き来するものの「壁抜け」的重さ。浜野謙太の歌う「夜の音楽~」の「く~」の外れた感じが的確にこの芝居を射程に捉える。正邪、善悪、内外、生死、愛憎、皆揺れて定まらない。激しく揺れる船の甲板から、その成り行きを見定めようと目を凝らすが、気分は結構悪いよ。虐待、拷問死を迎えた少女サオリの事件から十年後、その加害者間宮(古川雄輝)が彼女の家を訪れ線香をあげようとする。うーん。定規で測れない愛憎が、加害者と被害者にあるはずなのに、さらっと混ざって気分わるーいまま終幕を迎える。「笑えない笑い」かぁ。それはこの芝居の発表当時、エッジィだったんだよね、きっと。現在この芝居を観ると、いまではもういろいろな要素が、整理説明されつくしているんだなと思う。上から下へ、にじんで滴っていく水彩絵の具のように、よく出来た芝居だが、「混沌」を感じるのが難しいのです。警官下平(坪倉由幸)と運転手木村(浜野謙太)が芝居の両輪で、坪倉はジープのタイヤみたい、浜野は流行の自転車のファットタイヤみたいだ。大小のタイヤは一か所をくるくる円を描いて回り、芝居を混ぜる。長井短古川雄輝、どちらも声が繊(ほそ)く、掠れ、軽い。嫌な感じよりも、悪の軽さの方が胸に来る。「有り」だけど、やっぱしっかり声出してほしい。