歌舞伎座 六月大歌舞伎 第三部 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

 こころざし。志は船の汽笛となって、男を女から遠ざけ、女の思うのと違う方角へ男を連れ去る。芝居の中で、汽笛は長く短く、高く低く鳴り、男を引き剥がしてゆく。

 横浜岩亀楼の花魁亀遊(河合雪之丞)は病みついて行燈部屋に寝かされている。見舞うのは廓芸者のお園(坂東玉三郎)と、互いに憎からず思っている通辞の藤吉(中村福之助)だけだ。亀遊は異人のイルウス(桂佑輔)に気に入られるが、病や借金、別れの苦しみが重なって、剃刀で喉を切って死ぬ。しかし、死後実は異人に身を任せず自害した攘夷女郎だという噂が立ち、大評判となる。いつの間にか、お園はその噂をまことしやかに語り始めるのだった。

 朝方のぼんやりした明るみが、戸の大きさに切り取られ、ひとが開けたてしながら出入りしたかと思うと、次に控えめにその戸が開いて、そこに亀遊に声をかけるお園のシルエットが立つ。すてきー。出色ー。あのー、思うんだけど、亀遊が死んでお園が藤吉に詰め寄るシーンは、もうお園は亀遊の憑代になってなければいけないのでは。口寄せっていうか。そのあと出てくるお園の見てきたような亀遊話、あれは死んだ人の無念を晴らす、カタルシスとしての芸能の始まり、みたいなもんを感じるよ。あと藤吉の責められっぷりが今一つ。深いとこ、お腹の底で受け取ってほしい。「身体の中で」聴いてないよ。大橋先生門下の岡田(喜多村緑郎、ひさしぶりー)が、ちょっと荘重な言い回しだったね、ここでこの思誠塾の人たちは、「志」の世界を表わしているの?演出のスタンスがわからん。私には「芸能」「無念」を圧殺する「悪者」に見えるけど。もっと怖い感じでもいいんじゃないの。盃洗あけて、お銚子二本ぶんのお酒を飲んだりしても腰が立たなくてわなわなしてるのにさー。玉三郎、声とか、ほんと、「三味線」みたいな女だったねー。