ヒューマントラストシネマ渋谷 『エルヴィス』

 時間軸をいくつも並行させたり、きゅっと束ねたり、画面を割ったり、バズ・ラーマンはいくつもの書体で小説を書く「実験の人」みたいだ。畳み掛けて強調するのがとても上手。エルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)を世界的なスターに押し上げたマネージャー、トム・パーカー大佐(トム・ハンクス)が、まず瀕死の状態で登場し、エルヴィスとじぶんとの係わりを説明し始める。エルヴィス・プレスリーの出現から落日まで、映画は花火のように派手に、そのあとの暗闇のように寂しく、彼の足跡を追う。トム・パーカー大佐がどんな風にエルヴィスを操り、エルヴィスがどれほど搾取されていたか、ホテルとの契約の件はほんとに非道く、圧巻である。悪魔的、メフィストみたいさ。だーけーどー。この映画の中で一番素晴らしく、冴えているのは、「そこじゃなかった」。そして、それはバズ・ラーマンがイタリックもゴチックも使わない、企みのないシーンなのである。じゃあ普通に撮ればって感じです。ちいさな会場なのに、緊張の余り震えるエルヴィスが、歌い始めた途端、観に来た娘たちが急に電気を吸ったみたいに変わってゆくところ、ここが凄いの。自分の中に眠っている欲望に気づき、その欲望(それはエルヴィス・プレスリーという形をしている)を肯定し、肯定している事を声に出してしまう。そのことにためらいがあるから、みんな、なんていうか、一言で言えない顔をしている。「嬉しい顔」「哀しい顔」「戸惑う顔」等々、カメラの前で要求される表情を越えてるのだ。説明も越える。このシーンのおかげで、エルヴィスがなぜ大スターなのか、一目瞭然だ。オースティン・バトラーは敬意をもってエルヴィスを演じているのだろう、とっても品がいい。トム・ハンクス、「嫌いになれない悪い人」だったが、最初に上半身が映るとこ、着肉がうまく着こなせてないよ。