新宿バルト9 『静かなるドン』

 ヤクザ映画、キョーミなし。マンガも映像も全く見たことなくて、ごめんね。現代日本でヤクザ映画無視して生きてきた、そのこと自体私が社会と関係なかったことを表している。役職順に並んで昼食から帰ってくる会社員を、ばかばかしいと笑えない、つらい男の人たちが、たくさんのヤクザ映画を支えてきたんだと思う。

 2023年版の『静かなるドン』は、「責任感」から鉄砲玉や組長になる、決して「仕事」から逃げない日本の風潮をうまく使い、「暴力」団がどんぱちやらないという迂遠な設定で、戦争をしないなんて、なんてバカなんだろうと思わせる。暴力団て、ネゴシエイト――交渉しないのかなあ。

 この映画の一番いいところは、主役の近藤静也(伊藤健太郎)が、今どきのしゅっとした男の子と、ヤクザの凶暴な組長をきっちり演じ分けているところだ。デザイン会社に勤めるしゅっとした男の子にも、三代目の襲名を迫られるヤクザの組長にも悩みはあり、それが等価に描かれる。

海水の温度が深さで変わるように、映画の中には何層もの流れがある。これまでヤクザ映画に出ていた俳優はいかにもそれ風に重く、舞台役者は役を小さめに演じ、「親分」「子分」は熱い。本宮泰風は堅気の坊ちゃんを待つ姿がものすごい違和感だし、沢木全次郎(朝井大智)と坂本健(寺島進)の関係はレンジが振り切れるほどの演技である。

 ところが!脚本はすべてを無化するような笑いのシーンを、中心部に放り込んでくるのである。えー?トーン違わない?演出の組み立て、へんじゃない?三宅弘城坪倉由幸の、役作りが違ってない?ごくかすかに、もっと軽めにしないと、ダメでは?「女の子」(秋野明美筧美和子)は散々な目に遭い、粗末に扱われ、まったく納得いかん。坂本龍子(内田慈)の登場、説明が雑。鳴戸深水元基、筋に絡まないけど、自由にやってる感じした。宮崎吐夢いいよ、でももっとエラそうに。