よみうり大手町ホール 『レイディマクベス』

んんん?なんか、散らかってない?しかも、むずかしくしてない?マクベス家の3人(マクベスアダム・クーパー、レイディマクベス天海祐希、娘=吉川愛)は3人で1人、1人で3人だとして、芝居をここに集約しないとダメじゃない?だらだらと長く続く戦争、常に渦中の人として、「人を殺す」役目を負う軍人であること、その悪とその諦念まじりの必要性、いつでも「はずされている」女であること、不意に立ち上がってくるDVの父とシェルターへ逃げる母の記憶、憎しみと愛の混じった気持ちで見つめる娘、殺戮や戦闘に疲弊して病んでいく夫。地模様が複雑すぎて、その「上」に屹立すべき権力への欲望が、明確でない。レイディマクベス、夫が後継者でないなら自分が、という、王ダンカン(栗原英雄)に対する歯噛みするような思い、決定権に欠けてる自分へのいら立ちが薄い。きぇーって感じじゃないのかなー。全部フラットに感じられるし、凹凸がない。そして、台詞が硬くてちっとも頭に入ってこない。これ、なんとかならないの。生硬な翻訳は、観劇をつらくするよ。ついていくのに必死。きつい。

 そのかわり、「音」(おん)は、今まで観た芝居の中でも屈指のすばらしさ。天海祐希とか、口にする「あいつ」がすごく具体的でイメージできる。どの人の台詞の音も充実して内容があり、冒頭の会話シーンなどよかった。たまに台詞流れてたけどさー。(栗原英雄、一か所流れたね…)

 アダム・クーパーが「ああ」とだけ返事するとこはいい。天海の台詞が躰にしみとおっている。でもさ、しょっぱなの日本語の台詞、これがだめ、ここだけ死ぬほど浚ってほしい。

自分たちの観念にがんじがらめになった、囚われのマクベス達3人の緊張関係があって、初めて地模様が引き立つんじゃないの。「世界とその悪について考える」ってことなら、もっと違うアプローチがあるはず。装置も、もひとつピンとこず、この作劇じゃ、最後の台詞が効かないよ。