下北沢OFF・OFFシアター 『漂う、傍観者ども』

 若い作家の人って、結構強盗の芝居を書いてしまう。日本で奪われるのはきまって「金」、国で一番価値があるたいせつなものがお「金」だからだ。(これが宗教の力が強い国だと「主教」誘拐とかになる)深井邦彦1985年生まれ、彼が奪うのは素性の知れない「銀行の金」などではない。「スーパーの売上金」だ。かつての作家、かつての若い者は反抗のために強盗していたのに、もー、ぜーんぜん様子が違う。この作品では、スーパー→「生存のための金」を「生存の価値」を賭けて社会から零れ落ちた父(新納多朗)と息子とが奪取を試みる、一種の冒険のような扱いだ。

 変わったね、日本。貧乏になった。そして自死を教唆されて「ほかの人のために」包丁を腹に突き立てようとする父は、やんわりと、いやーな感じで「人のために死ぬ」風潮(戦争)を勧める「誰か」「なにか」の存在を思わせる。(そして父—父の世代は決して死ねない。)このスーパーの小さい、二百個の弁当の段ボールの積まれた事務室は、作家の心の中なのだ。「願望」、「我慢」、「逃避」をめぐって芝居は対話を続け、決して結論は出ない。堂々巡りです。

 登場するのは男性不妊に悩むぼんぼんのスーパー店長(清水優)と、金にならない演劇をあきらめない年増のパート(丸山優子)、デリヘルとスーパーでバイトを掛け持ちするシングルマザー(片山萌美)、そして飛び込んでくる初老の父だ。

 片山萌美に芝居の重みがぐーっとかかっていて、少々無理。傍観者の台詞をほぼ一人で背負ってる。声は割れ、この人がどういう人かつかめない。佇まいがないの。謎の生活感とかが。リアリティかなあ。清水優も声出しすぎている。アフタートークくらいの声量で十分だよ。丸山優子好演だけど、繰り返し言う台詞は、畳みかけたりする工夫が必要だとおもう。

 スモーク焚いているけど、スモークの役目が不分明。スーパー火事かと思った。BGMがとってつけたよう。台詞の頭から「ここはしんみりですよ」って出すのちょっと考えたほうがいい。後半長く感じるなあ。でも一時間30分、緊密な芝居にはなっていた。