シアタークリエ 『ビロクシー・ブルース』

キャラを立てろ!もー、これしかいうこと思いつかん。

 第二次世界大戦で戦うため、服従を叩き込まれる6人の新兵の顛末を、1943年の召集と1945年の復員から語る。ひとりはこれまでユダヤ人を見たことがなかったし、語り手(ユージン=濱田龍臣)と引越トラックの運転手(ワイコフスキ=大山真志)は出会うこともなかったはずだ。ニール・サイモンは彼らを太い輪ゴムできゅっと束ね、度外れて厳しい班長のトゥーミー軍曹(新納慎也)の支配下に置く。これってさ、逃げ出せない運搬される家畜に似てる。移動(ビロクシーヘ向かう列車や戦地に向かう旅、また戦地から家へ帰る距離的なものと、戦時中から戦後へと移り変わる時間も表している)、それからこのどこへも行けない「貨物」感。従うしかない軍隊の六人の運命は、その奥に貨車で死へと運ばれたホロコーストを隠し持っている。

軍隊になじむことを拒否するエプスタイン(宮崎秋人)は、トゥーミーのいう「くそだめ」(軍隊、そして世界だよね)の底の底へ、ニール・サイモンがほんとうに手を突っ込んで見つけたリンのように青く光る骨(?)、汚辱を憎む作家の真理のような気がしたよ。このエプスタインの運動能力に欠けた不服従の哲学を、宮崎がよく演じる。作品が大事なシーンではリンのように光って見えた。けどカーニー(松田凌)は音を外しちゃだめだし、もっと楽しそうに歌ってもらいたい、この人は歌声を奪われるんだからさ、ワイコフスキは粗さが足りない、セルリッジ(鳥越裕貴)ひっこんでる、ヘネシー木戸邑弥)自分の血筋を言う時の感情がようわからん。トゥーミーって、日本の帝国陸軍がひどすぎるから、ひどさがいまいち伝わらない。濱田も物足りない。リアリティが不足。初々しい感じしないもん。皆が弾けてきびきび芝居をしないと、なんだか芝居が鈍く見えてしまう。小島聖のロウィーナは蠱惑的だし女学生のデイジー岡本夏美)はすがすがしいけど、さすがに古さを感じる。売春宿の景色とかいたたまれない。デイジーとユージンが最後に会うところ、きちんと役者が感じて演じていれば女学校のすぐ外だと感じられるはずだが、全然だめ。