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マームとジプシー『モモノパノラマ』

正方形の舞台、四角い木のフレームが、展開図のように広がっている。ひょいと木部を避けながら歩く役者(荻原綾)が、静まった中でひとこと、「いよいよ、」という。間。かなり間があって、「本格的に、」とセリフが続く。このセリフの間にうっとりする。しんとしている。カチカチとチェーンがかみ合う音がして自転車が走る。きれいな音だ。

 フレームが喪章のような黒いテープで仮止めされ、組み上がった。その立体が苦もなくパタンパタンと転がされ、子供たちが家の中や外で会話を続ける。猫がジツコちゃん(召田実子)のところから二人の姉妹の家にもらわれてくるのだ。猫はモモと名付けられる。リフレインを多用しながら、猫が迷子になった顛末が描かれ、その合間に、なぜモモが選ばれたのか、モモの兄弟猫はどうなったかがさしはさまれる。

 みながら、生きもののなまぐささを思った。現代生活でなるべく切り離されているもの一切。子供に見せないようにしているものすべてが、モモを皮切りに、流れ込んでくる。発情したモモ。汲み取り便所。迷い込んだきつね。死んでしまった牛。におい。モモは登場人物と作者らしい「エンゲキ」(尾野島慎太朗)によって、二重に語られる。

 まず最初に、モモの表面「肌」のふくふくした感じが思い出として出てくるのだが、芝居が進むとむしろ、その体の、洞窟のような内部にフォーカスされていると感じた。生々しい内臓。その息。今新たに目の当りにするような緊迫したその死。苦しみ。そして微視的な観客の目が、猫の体内から一気に解放される。ダイナミックだった。吊り下げられたよじれた布が、さらに視線を遠くに運ぶ。

 白い薄紙に挟まれたドライハーブの当日パンフレットがとても素敵。客席を見渡したが、誰も開けてみないで、大事に持って帰っていた。