GEKISHA NINAGAWA STUDIO公演 『2017・待つ』

 舞台が暗くて、隅にあるデュシャンみたいな便器しか目に入らない。しばらくすると薄暗がりに、祭壇のような(ぎっしり)正面の混沌がぼうっと現れる。ラッパ型の顔を伏せて群がり咲くダチュラ(チョウセンアサガオ)、ドーリア式だかイオニア式だかの柱が斜めに倒れかかり、その背後にはうす紅い蓮がすっくと立ち、ロムルスとレムスを育てた狼の白く大きな像がいる。地球儀を置いた本だらけの大きな机、これらに侍すように控えめに、トラックや自販機があり、目を上げるとダンシネーンに来るあの森のような、アーデンの森のような、青葉をつけた若木が天井からさかさまに下がっている。

 この吹き寄せられた祭壇を前に、一人の俳優(清家栄一)が台本を手にセリフの確認を始める。流されたようにひっくりかえった縁台、横倒しの椅子、三輪車が透けて見える水槽、その間を縫って俳優は歩き回り、集中し、マクベスのセリフを語る。セリフは高揚していくが、そこにハムレットが入り込み、彼を引き戻す。自己陶酔を許さない台本だなー。今しも王を殺そうとした時、彼は祭壇の中に消え、一人の兵隊(白川大)がライフルを背負って転がり出てくる。ここからアラバールの『戦場のピクニック』が始まる。兵隊は前線に一人残されている。そこへ、なぜか家族たちが訪ねてきて、みんなでピクニックをするという話だ。アラバールは不条理劇で知られるが、ピクニックが挟まることによって、戦場、戦争という最強最低の不条理が強調され、あからさまになっていく。さらさらと茣蓙がいく筋も敷かれ、お重が持ち出され、電蓄で音楽がかかる。家族はさざめきあい、わらい、楽しげな、見事なピクニックシーンだった。このオムニバス劇のなかでは、この戦場のピクニック+マクベスと、老人(岡田正)が友達の葬式で旧友(大石継太)と出会い、14歳の心で生き始める話(『逆に14歳』)が好きだ。

 ほかに舞台の裏方が兄(飯田邦博)と弟(塚本幸男)に変容してゆく『花飾りも帯もない氷山よ』、脳のように前頭葉や視覚聴覚運動野を持つキャベツについて教授(野辺富三)が記者(新川将人)に語る不思議な話『キャベツ』、演出の井上尊晶までが登場する『12人の怒れる男』など。

 息子(堀文明)と父(妹尾正文)、車椅子の父は、「それじゃあ、俺はもう死んじゃうよ」という。それは露伴の臨終の言葉でもある。息子はそれを、一瞬動揺しながら受け入れる。受け入れる、難しいな。実際には幸田文は、死ぬ父に向かって手をついて、きちんと挨拶の言葉を述べ、父をみとった。「お父さん、お静まりなさいませ」。私たちは蜷川幸雄に向かって、もうこういわなければならないだろうか。