日生劇場 『坂東玉三郎 世界のうた』

 『ニュースセンター9時』で観たシェークスピアの装束の麗人は、ずいぶん年上のように中学生には思えたが、今となってはそんなに年も変わらないような気がする。若いよね、玉三郎

 幕が開き、ハープやピアノやドラムス、8人のバイオリン、クラリネット2人にフルート、小さいホルンなどが見える。

 玉三郎は服に皺や影ができたところがキラッと光る白いスーツを着ている。貴公子。

 「はるかなはるかな見知らぬ国へ…」

 (えええっ)

 と、椅子から落ちそうになる。口の中が広い。ベルカント唱法で裏声じゃない。地声でもない。この人知らない玉三郎さんだ。しっかりしたテノール(?)の声で井上陽水のさびしーい歌を歌うのだった。衝撃が大きすぎて歌がよく聴こえない。歌舞伎の人は、やっぱ型から入るのだろうか。音を躰に「響かせる」所から始めているのかなー。口もそんなに大きく開けてる様子もないのに、いい声は出てる。「空の迷い雲」のソラノ、の3音、「僕の行く国が」のボクノの3音しかよくないよ。それと最後のリフレインの「はるかなはるかな」は、なぜかベルカントでなく地声だ。そこはすごくいい。地声で歌おうよ。作らんがいいよ、と次の『少年時代』でも思うのだった。『つめたい部屋の世界地図』を、16歳から20代の、忙しくて忙しくて自室と舞台の往復が人生の全てだった頃聴いていたといってた。ならもっとよく歌えるやろ。絶対もっとうまく歌える感じなのである。玉三郎は音を外さない。できるオケがきっちり玉三郎を支え、玉三郎も、2,3度音が揺れることはあっても、堂々と歌う。

 そして突然、『5月の別れ』がとてもいい感じ。この歌合ってる。そしてきらきらした5月の景色見える。歌に入るところが難しいのに、動じない。

 玉三郎は音をよく聴くために脱力している。カラダのなかを音がすーと通るのがわかる。全身が声に奉仕している。

 「今はもう秋」、歌いだすと、芝居の中の人。海辺に立っている。バイオリンのボウイングが、針の様に鋭く揃っている。バイオリンからチェロ、チェロからベースとソロが移っていく。ソロ取るのって怖そうだなあ。歌はシャンソンになった。『18の彼』。愛しあって別れてゆく、年上の女の心が、陽が落ちて灰色になった風景のようだ。「平気な顔して」、「て」が惜しかった。ぶれた。どうしてちょっとだけでも、踊らないのかな?細野晴臣すらステップを踏む世の中ですよ。

 前半で私が一番いいと思ったのは『人生は歌だけ』だ。「私には歌だけ、今はもう歌だけ」、このかなしみ。玉三郎は、あっさり、淡白に歌う。ドラマティックにしない分、かなしさが白くてきれいだ。きっと、演劇に賭けてきた人生のかなしさって、そんな風に感じられるのかもしれない。

 2幕、ベルカントが落ち着き(私も慣れ、)自分の声になった。玉三郎、楽器のような人だな。2幕もいろいろいい歌があり、『マック・ザ・ナイフ』なんてよかったのだが、アンコールの『最後のワルツ』(ラストワルツ)が素晴らしく、はっきり言って爆発しており、ほかの曲を吹っ飛ばしていて、(もっとはやく爆発しようよ…)と思うのだった。ここで玉三郎は歌手として生まれでている。自分の声(男でも女でもない色気)を持つ、自分自身なのだ。気持ちよく拍手できた。