song & supper BAROOM(バルーム) 坂東玉三郎 PRESENTS PREMIUM SHOW 〈口上&衣裳解説〉

 恋が浮世か浮世が恋か、とうっすら流れる地歌が、じわっと100席の洒落た円形劇場の空間を変える。玉三郎が、うちの狭いリビングに来たみたいに近い。肩が黒(いい黒!)で、下のほうが薄い藤色になっている着物は、「こぼれ松葉に梅」の裾模様だ。清長の浮世絵の人みたいやん。絹物の重みが肩にかかり、その肩の線がきれい。「羽織を着ている」と本人が言わないとわからないくらい身に添うている。緋毛氈の上で口上を述べる。今日は紫帽子の女形(おんながた)の普段のかたちです、と玉三郎が説明する。「かつらおけ」という塗りの丸い腰掛に座った玉三郎、着物(うちかけ)を見せるために小さな舞台を周る玉三郎は、また一段と観客に近い。家(いえ)の納戸開けたら鶴女房がいましたぐらい近い。

 「みんな知ってるよね」な感じで「唐織」のうちかけが、次から次から出る。玉三郎の説明も走ってい、ササササとあっさり進む。(「唐織」っていうのは、綾織りの地模様の上に金糸銀糸、うつくしい色糸で、草花や文様を「織り出す」技法らしい。大変そうじゃない?織機で刺繍のように見せるんだそうだ。「織機で」だなんて、よくかんがえたらすごいよね。あとのほうのうちかけも「うつし」で、復元しようとしたら丸みが出なくて、よく調べたら、昔の織機のほうが経糸が500本多かったんだって。とうとう、織機を復元したっていってらっしゃいました。)源氏物語の格調高いうちかけだ。「くろべに」「錆朱」を使い、「御所車」が織り出されている、あれ?六条御息所は源氏の正妻じゃないぞ。でも走っているうえ会場の観客が詳しいからか、(あら、玉様勘違いなさって)な雰囲気でスーッと進む。でも正妻じゃない。気を付けてほしい。簡単なガイドを配ったらいいと思う。演奏の人とかさ。御所車に下り藤の渋くて豪奢なうちかけを膝に乗せ、玉三郎はおしろいの手で気を付けてそっと着物をなでる。能の観世宗家に「うつし」の許可を取ったのだそうだ。うちかけを羽織って、歩を運ぶと、背縫いの両側を藤が滝のように流れ、打ち合わせの胸元の左右に車輪の輪がぴったり高さを合わせて「置いて」ある。むかし、亡くなった勘三郎が、「若い時は、ペラッペラの着物でさ、哀しかったよなァ」と玉三郎に話しかけていて、玉三郎が困ったように黙って笑っていたのをテレビで見た。そこからの「唐織」だよねぇ。お着物作り放題だった昔の歌舞伎俳優とは違い、こつこつと、一枚ずつ、思い入れしながらできていった衣装で、ゆっくり玉三郎は衣装持ちになったのかもね。そして、舞台で着る衣装は消耗する。『天守物語』後半で着る龍の衣装は二枚あり(上に着たのが三枚目で、ちょっと出来損なった、と言っていた。龍がすこしかわいいのだった)重ねていた下の同じ龍の着物の袖は切れてしまっていた。

 玉三郎は父(守田勘彌)に、古いものを着せられても、汚れたものを着ていてもきれいに見えなければいけないと教えられたそうだ。ふと見ると何度も袖を絞って上からうちかけを羽織ったその着物が攣れて、糸が出ている。うーん。着物、時代がついていたんだね。だけど玉三郎は堂々としている。大事。

 最後は「雪持ちの枯柳」の黒いうちかけ、傾城のうちかけを羽織り、鳥居清長の絵の人は消えていった。消えた先は、空間の裂け目だ。そこには「黒髪」の歌(川瀬露秋、今日一回琴の調子外したね)のせつない、誰にもぶつけられない心が蔵ってある、誰も知らない、不思議な場所なのだと思う。