文京シビックホール 大ホール 『坂東玉三郎 ~お話と素踊り~』

文京シビックホールに向かうため、シャーベット状の雪をしゃくしゃく踏んで歩いていると、今日は玉三郎地歌舞『雪』をやるのに雪が降るとは、なんてあたしは賦がいいんだろとにこにこしてくる。

 この地歌舞というのは、狭いところで踊るもので(パンフレットの中に遊里や座敷でと書いてある)ちっとも四肢を動かさない。動いてもゆっくりだ。こんな踊りで観客の目を捉えるためには、よっぽどの集中力が要る。

 ためしにYou Tubeで、「武原はん 雪」の動画を見て!!なんか…なんかすごいから!!一瞬一瞬が美しいじりじりした動きで繋げられ、なんていうか乾坤一如なの。天も地も、ひっくるめて一つさ。女の心の裡も外も、ぜんぶひとつに一体化していて、指の先に体の中の悲しみがあり、たたむ傘に秘めた諦めが見える。踊る外形は、踊りの「手」「振り」じゃない、心なのだ、って、こーんな凄いものが手軽にケータイで観られる昨今、玉三郎はこれをどう踊るのか。

 幕が上がるとひとりの人が白く透ける傘を持ち、着物の後姿で立っている。暗い舞台に雪がひとひらひとひらそっと降り、後姿がすっとしているんだけど、あの、武原はんの鋭く考え抜かれた着物の、嫋嫋とした、糸一本に至るまで清々した女の姿を思うと、心配になる。でも、半身をゆっくりひねり、こちらを向いた玉三郎はやっぱり清らかだ。その清らかは、墨染めの衣になった悟りの清さに見える。この『雪』という演目は、恋人を思い切って出家しちゃった芸妓の話をもとにして作られているらしいから、そんな風に見えて当然だね。そして、コンプラ的に問題かもしれないけど、すべての女の人は成仏が難しくて、いったん男に生まれ変わるという話を思い出すと、目の前の淋しそうな人は、男でも女でもある。玉三郎は、素踊りだ。

 うぉー玉三郎すごい、「男で女」「女で男」、「男の想う女」「女の想う男」を、踊り分けようとしているな。琴の音(三味線なの⁈)に潜む鐘は淋しく鳴り、子供の頃のよる、家の皆がどこかへ行っちゃった後、カッチカッチと音を立てる振り子時計のことが瞬間的によみがえる。透いている傘を通して見える玉三郎の、傘越しのまなざし、向こうをそっと振り返る顔は、すべての未練を置いていこうとする女の人であり、男の人であり、玉三郎なのだ。乾坤一如やねえ。一つ言うとすると、俳優はどうしても顔の表現で踊ってしまう。もっと体つきで表現できると思うよ。第一部がお話、第二部が『雪』、玉三郎はリラックスしていろんな話をしてくれた。次の公演地の方々、おたのしみにー。