Bunkamuraオーチャードホール DISCOVER WORLD THEATER vol.11『ウェンディ&ピーターパン』

 ミスター・ダーリング(堤真一)は登場しながらもう、ミセス・ダーリング(石田ひかり)の唇の上に浮かぶ「謎めいたキス」について語る。あそこ、きもだね。戦争ごっこの仲間に入れてもらえない女の子のウェンディ(黒木華)は、「おねがーいなかまにいれておねがーい」という、媚態を示すことで(媚態という物がなぜどこから来るのかが端的にわかる)許可されるが、廻ってくるのは「人質」の役である。これら二つの事からこの作品が、今日性を帯び、原作のいいところを押さえたものなのだとささっと心に来る。世のたくさんの女の人が、夫に向かって「私はあんたの母親じゃない」と言い聞かせているというのに、ピーターパン(中島祐翔)だけがウェンディにお母さんになってと頼んでる場合じゃなかろう。ウェンディが女の子の連帯を組むことと、出かけて行ったミセス・ダーリングが仕事を得ることは相関している。ウェンディは、ミセス・ダーリング、ミセス・ダーリングはウェンディである。

 が!この芝居には「流れ」がない。立てるべき場所と流す場所が、大小にかかわらずすべて無視されているのだ。小さいのは台詞の言い回しから、大きいのは「謎めいたキス」の堤真一の流し方に至るまで、キズが多い。「謎めいたキス」、立てて。ジョン(平埜生成)は「ママ!」と叫んだあと「まあまあ」と言い換えるのだが、ニュアンス繊細さないじゃん。ロストボーイズのやり取りもまずい。ウェンディが「物は――、」と怒るシーンの、その前の台詞は「ふり」なんだからさ。すーと流す。石田ひかり、身体こわばってるし堤真一のセリフ聴いてない。山崎紘菜、トーンはいい。でも台詞は「それで」の一語きりよくない。一語よければすべてよくなる可能性。渡り板が見えず、中島の「死ぬって素敵な」っていうセリフには怖さとわくわくの二重性がない。石井桃子の「すごい」じゃダメ?