代官山 晴れたら空に豆まいて 『LIVE MAGIC !2021 EXTRA』

 すんごくくじ運のいい40人の人々が、次々に「晴れ豆」に入ってくる。わくわくしてる。身体が楽しそう。バラカンさんのいる上手後方から順に、席が詰まっていく。ふと上方をみると、照明を吊るすパイプがかすかに湾曲し、端でミラーボールが控えめに回っている。それなのに私の心は暗い。グレイトフル・デッド、知らないんだもん。ジェリー・ガルシアの『Shady Grove』(1996)が好きだっただけ。でもあのガルシアのアルバムは、主に節(tune)で聴ける曲だよね。グレイトフル・デッドって、サウンドじゃない?ちがう?とわたわたしているうちに5分前になって、バラカンさんが注意事項と今年のTシャツの説明を始める。2021のオフィシャルTシャツは、ネルソン・マンデラの「It always seems impossible until it’sdone」という言葉の入ったものだ。何事も成功するまでは不可能に思えるもんだって意味だって。ついさっき、茶のフェルト帽、眼鏡の人がすーっと客席を横切り、上手(右側)からステージに上がった、と思ったら、バラカンさんの説明の間、幕代わりに下がった白いスクリーンの下手(左側)の端っこで見切れてる。日常から非日常へするりと通り抜けて行ったなあと、少し不思議な気持ちだよ。一分かけてスクリーンが上がり、Majestic Circusがそれぞれうねるように音を鳴らしている。あの茶色の帽子の人は「リードギター」のようだった。長くのばしたそれぞれの音が、ばらばらのまま曲に入る。黒のキャップを後ろ前にかぶり、アフリカ的なオレンジのコットンパンツをはいた人(「サイドギター」?)が中央左側、グレーのTシャツの女の人が右側で歌い始める。うーん。ばらばらだ。ボーカルの女の人が不安そう。しかし、段々に合ってくる。2コーラス目から違和感がなくなり、底の方からバラバラになりそうなのを、茶色の帽子のギターが動じないでしっかり支える。女の人が楽しそうになってきた。ギター、上手だなあ。歌はちょっとで、あとは演奏だ。私にも曲名がわかる「Dancing In The Street」になったら安定し、グルーヴが生まれる。これがグレイトフル・デッドかー。Majestic Circusを通して学習する。一人一人がきちんと個人で、体力の続く限りその日だけのグルーヴの演奏をするんだなと思う。一日一回、真剣勝負で混ぜる絵の具みたい。終わりかなと思っても終わらない。ベースも少しはなやか。それも特徴だって何かでみた。ドラムスとコンガ(だと思う)もいいが、なんといってもこのバンドのこころはギター。まわりが調子でなくても粘り強く、かっこよく弾く。この人がしっかりしてるから、全員最初に登場した時とは別のバンドみたいである。他に「I Know You Rider」「China Cat Sunflower」など。ライヴができてうれしいです、といってステージを降りる。ライヴが観られてうれしいよ、ありがとう、と思う。

 次は今までのステージと反対の場所にある小さな舞台で、ママドゥ・ドゥンビア(Mamadou Doumbia)のコラとギターの演奏だった。オレンジと黄色の明るい上下。観客の背中に「まわってくださーい」という。あっ賢い声。この声好きだ、でも歌わないのだ。座った膝の前にコラがある。クリーム色と薄い褐色の瀟洒な色合わせで、左手で伴奏し、右手でメロディを弾いているように、私の席からは見えたなあ。音に合わせて笑顔になるせいか、まるで口から音楽が空に昇っているみたい。エスポワール、希望という曲です。というけれど、あまりにきれいな曲なので、苦しい現実がちょっとだけ見えてしまう。コラには半音がないそうだ。ピアノの白い鍵盤部分の音階だって。逆にペンタトニック(半音だけの音階、五音音階、ペンタトニックスケール)はアフリカではポピュラーなものだといっていた。ギターをペンタトニックで弾くとブルースだった。サリフ・ケイタのケイタは王様の血筋で、ドゥンビアは武人の血筋だって。「ドゥンビアは(社会の)センターだよ」とちょっと笑って言っていた。マリの北部はイスラム原理主義アルカイダ的集団に占拠されていて、たいへんなのだそうだ。「あの子日本に行ったってー」「えー」という、高校の同窓会を頭の中で暢気に組み立てていたが、それを聞いて辛くなってしまったよ。

 矢継早だが次はバラカンさんといとうせいこうさんの対談、いとうせいこうホットドッグプレスの恐ろしく優秀な編集者。ってとこで記憶が途切れてる。ごめん。小説家(『ノーライフキング』!思い出した)で、ラップをやったり今はポエトリーリーディングをしているそうだ。二人はシリア難民やミャンマーの軍政のことを話しあう。中では、『禁止です』と言われると思考停止(?)になっちゃってそこから先を考えようとしない自分(いとう)の話が印象に残った。意志ある所に道はできる、って私もあんまり考えてないかも。マンデラのTシャツが必要。軍政ミャンマーでは音楽も自由でない。それより少し前、石谷崇史という人がドキュメンタリーに撮った円筒状の打楽器の演奏が素晴らしかった。(you tube)環状に吊った大小の太鼓を、真ん中に立つ奏者が回転しながら叩く。吊るされているから透明感のある音がする。サインという楽器だそうだ。

 さて、舞台が人でぎっしり。10人くらい。ボーカルだけが薄鼠色の着流しで、あとはなんだか原色の、無国籍の服。

 「炭坑節」「虎女様」(2コーラス目の歌いだしを「あ…」としくじっていた)「おてもやん」(CDなどより掛け声も歌もいい)「ホーハイ節」「木曾節」(新曲)「貝殻節」(新曲)と続いてゆく。

 あの、なんか、金太郎飴のできるのを、逆回しで観てるみたい。民謡がちっちゃく固まった金太郎飴だとしたら、とんとん切られたそれを熱して一つに繋ぎ、引き伸ばされたのを寄せて凝縮して、白く包まれていた筈の原色の中身が、ばーんと外へでて「束ねのし」みたいに広がっている。

 「ソーラン節」の中間部の伸ばしたボーカルの声で、箱に蔵われていた民謡が目を覚ますのが聴こえ、見えるようだった。

 民謡クルセイダーズ、ライヴの喜びがはじけてたねー。よかったです。