恵比寿ガーデンプレイス ザ・ガーデンホール&ルーム 『2023 PETER BARAKAN'S LIVE MAGIC』

黒いひだの寄った、背後の黒い幕に、紫と青の明かりが交互に当てられている。その上にはLIVE MAGICと書いた大きなパネル。

 バラカンさんが登場して、4年ぶりにフルサイズの開催ですという。合間の時間に余裕を作り、パフォーマンスも長めだって。四階にはマッサージチェアがあり、物販は2つだけ。ふむふむと聞いているうちに、バラカンさんはビールを受け取ってすばやくステージから消えた。

 一つ目のバンドはロマンティック・ババルーという、アフロキューバンミュージックをやっている日本のバンドだ。

 ダーリンSAEKOさんという人がリーダーで(本日不在)「新世紀ダンスホールミュージックバンド」をめざしているそうだ。アフロキューバンミュージックの中の宗教儀式音楽がベースになっているらしい。

 七人くらいの人がどやどやと舞台に散らばり、ナイジェリアからキューバへ渡ってきたバタドラム――片方の端が広く、片方が狭くなった手作り感満載の太鼓——を胡坐の上にのせてたたく人たちや、中央のドラムスや、下手側のコーラスやに分かれてすっと始まる。すんごく太鼓が上手で、無表情(この無表情が、クールってことになってるとおもう)でたたく。バタは複数あるが、別に音があってない。これもクールなのかなあ。とにかく太鼓が上手。早い。いつの間にか間拍子があうっていう宗教系トランス音楽なのだろう。バタの扱いも堂に入ってる。コーラスが入ると、これもあってない。うーん。細い小さい手に、マニキュアをきれいに塗ったミックスの女の人(NIKKO)が踊り始める。体の中にアフロキューバンのおがくずが入っていて、それに小さく火が付いたみたい。燃え上がらないけど、芥子粒くらいの種火のようだ。それと合わせて男の人も踊り始める。あ、身体硬い。明治の初めの有名ピアニストが、「アマリリス」を悲劇的に弾いたって話が、だんだんに思い出される。彼我の遠さ。

 音楽を観客に全く聴かせない。神にささげているかっていえばそれも違う。一人一人が、一生懸命に浚っているのだ。そしてそれがうまい。どーすんだ。どこへ行く。「人に聴かせる」ってこと、もっと考えたほうがいいよ。

 

 場所が変わって、椅子席。サックスとクラリネットの仲野麻紀だ。奏でる旋律の中心が聴いているこちらの胸の奥へきて、そして静まっている。旋律はらせんのように聞こえるのに、不思議だね。ブルターニュの丘の(乾いてるよね)隠している水源のことを考えた。仲野が滴る水といったのは、この心の静まっているもののことだろうか。足元の何かペダルを踏んで、演奏をループさせる。仲野は袖なしのレースのぴったりした黒い上衣と、黒のパンツだけど、足が裸足なのさ。ひかひかする繻子のうすい布鞋(くつ、そんなものあるだろうか)はいていてほしいけど、コンサートの足元って難しいよね。トルコのウシュクダラを低く歌うが、歌手と違い、歌を強調したりせず、歌唱ぜんたいが音楽(サックスやクラリネットで作り出す旋律)に奉仕しているのだった。と、感心していたら、ゲストで2曲やったOreka TXのチャラパルタ(石の打楽器)は、手始めにさらりっと鳴らす音が、奉仕すらしていない。音楽、正しい音程で、正しい間で、演奏するということが、無化する瞬間だ。それを超えてる。大自然。そのあとは、ちゃんといい音で、音楽になっていたけど。ここで仲野は息が切れたのか、旋律の芯の、強い音が表に出ちゃってた。風邪ひいたといっていたから咳出そうだったのかもしれない。だめだよ。

 チャラパルタは2人一組で、楽器(木琴みたいに見える…)をはさんで向かい合い(あるいは並び)、相手の隙間、相手と違うところを鳴らす。習字の筆みたいのをぽんぽんと縦に打ち落とす感じ。硬くて、やさしく、うつろで、きれいな音だ。仲野のデリケートな音とよく映る。細かい舞のようにチャラパルタの前で動き回って、ファイルーズの曲とブルターニュの民謡をやり、ライヴは終わり。チャラパルタの片づけが始まる。石の後ろに音程が(Dとか)書いてあるのをにっこりしながら見せてくれた。

 

 セネガルのシンガー・ソング・ライターZale SeckとJapon Daagou。セネガルの三人と、日本の人の混成バンド。黄色のアフリカ風スーツを着たZale Seckは顔がほっそり小さく、8頭身。かっこいい。髪を細かく三つ編みにしているが、そのうちの一本が顔にかかるのをさっと邪魔くさそうにかきあげ、それがまたかっこいい。最後は右側と左側を束にして、後ろで一つ結びにしていた。両手の中指第二関節に白いバンソーコーをまいている。手が痛いのか。胴が3色に塗り分けられ、星が一つ打ってある太鼓(下からマイクが深く差し込まれている)をたたくが、あまりひびかない。なんだよー手が痛いんだね、太鼓奏者なのにー。「タリべ」という曲や「Wake Up Africa」という曲をやる。日本人の女性キーボード奏者が、エレクトーンの先生のような指運び。ううん。ギターのお兄さん(Zaleの息子)がまるで高校生のデレク・トラックスみたいにきゅいーんと弾く。Zale。どうした。息子頑張っているのに。と、突然、王様の頌歌でZaleが覚醒する。履いていたスリッパに向かって歌ってるけど。太鼓が深く、激しく鳴る。声が野放図に出る。三連符の手拍子を要求して、会場が応える。へーえ。むずかしいのに。ニック・ロウがこないだ言ってたけど、初めて来日した時、日本人の拍手は前ノリ(音頭みたいな?)だったって。進化したなあ日本人。

 Zaleは本気を出してきた。1フレーズ歌って、雷に打たれたように倒れるというのを本息で何度もやる。汗だくだ。最初とタッチつけてるの?最初から本息でやってくれ。キーボードもほんとはすごく弾けるひとだった。こら。

 

ライヴ3本見たらへとへとになっちゃって、空いていた廊下の椅子にすわり、Dos Orientalesを茫然と見る。あれ。この人たちちゃんと見ればよかったなー。リズムがかっちりしていて、すごくうまい。安心して聴ける。目の前に片方の足首にドリンクを何本か結び付けた女の人がいて、演奏を見守っていたが、たたっとステージに上がり、おじさん二人と肩に下げた太鼓をたたき始める。自然発生的に拍手が始まり、この客の手拍子がまた、じょうず。

 

六時十五分、ジョン・クリアリー。バラカンさんがセットリストを見て狂喜したといっていたが、いきなりアラン・トゥーサンの曲やって、それからヒューイ・“ピアノ”・ルイスの追悼をする。ヒューイ・ルイスは今年亡くなったニューオーリンズのピアニストだそうだ。ドラムスもベースもパーカッションも第一線のパリパリだねっていう音だ。ただジョン・クリアリーがきゅうに、‘弾かない音’や‘ない音’、欠落を作る。えー?失われた音符って感じ。喪われたピアニストを悼んで?そこはがっつりやろうよ。バンドが合わせづらくなるようにゆっくり弾いたりする。修行か。ジョンはピアノをやめてチーズおろしみたいに素人には見えるパーカッションをたたく。ピアノを離れたその姿が、ふらふらする「立ちあるきの子供」のようでした。プロフェッサー・ロングヘアーの「ティピティーナ」をジョン・クリアリー風にやった。いろいろな隙間をつくっているけれど、ピアノの一音一音に、動かしがたいジョン・クリアリーの色があって、やっぱ隙はない。一瞬の休符が鋭角だ。休符を10秒くらいに引き伸ばしていたけどね。そこはどうかとおもった。遠くから来ている人が帰れるくらいにぴしゃり、ざくっとライヴはおわり、満足した会場中がうれしそうに記念写真を撮るのだった。