恵比寿ガーデンホール 『Peter barakan's Live Magic』

 開場まで15分押し、だけど久しぶりのライヴで、そんなこと全然気にならない。スタンディングの人と、指定席の人で入り口が違う。スタンディングはいつものように番号を呼ばれるのを待ち、指定席は三々五々入場してゆく。二階のフードマジックは、茶色の紙袋に一つ一つ入れられた、なんかかっこいいサンドイッチが山積みになっている。私はレモンケーキという星形の、砂糖のアイシングのかかったお菓子を一つ買う。喫煙所になってるベランダに出たけど、もうタバコ吸う人もいない。皆お酒を飲んだり、サンドイッチを椅子に座って食べたりしている。広場のいっちばん遠くの方で、赤ちゃんが、ベビーカーが大揺れする程泣いているのが見えた。

 ステージ前のスタンディングエリアに移動。バラカンさんが、「3年ぶりのライヴ、いろいろありました」という。ほんとにねー。3年前までマスクの裏表もわからなかったのにねー。Tシャツの紹介、小坂忠さんが紙コップにいたずら書きした自分の顔を、デザインにしたものなど。葉山でバラカンさんがみたコングリ・クバノ・バンドをすぐこのフェスに呼ぶことにしたと話す。ちいさいこどもの給仕がバラカンさんにビールを運んでき、さっさっさっとコングリ・クバノ・バンドが登場する。日本に住んでいるキューバ人のバンドだ。

 皆、かっこいい帽子をかぶっている。パナマ・ハットだね。白の中折れの夏帽子が2人、白のカンカン帽は一人(この人がバンマスかな)、麦わらの中折れが一人、麦わらのカンカン帽が一人。そしてドレッドのパーカッション(コンガ)。白っぽい服を着て、さっさっさっと演奏を始める。ブエナビスタソシアルクラブがやっていた「chan chan」ですね。何だか空気がざわざわしていて、バンドのメンバーの心もこの場に慣れてなくて、全体的に会場ぜんぶがきょろきょろしてるんだけど、段々に落ち着いて、2曲目の「Candela」、3曲目のチャチャチャの曲と、整ってきた。そして4曲目、上手から二人目、恰幅のいいえんじ色のジャケットを着たヴォーカルの(麦わらのカンカン帽)素晴らしい歌いだし。しっとりしている。よかったなあこの曲。歌がうまいというより、歌い方を心得ている。自分の歌を「知っている」のだ。下手から二人目の人は、弦の間が空いているギターを持っていて、よく鳴って、前から2列目にいたのにオペラグラスで見ちゃったんだけど、2弦ずつ6弦。トレスギターというんだって。次の曲はバンマスが歌った。あれ。軽くてパリッとしたかすれた声と、歌の相性が悪かった。音域があってない。ざんねん。最後は皆踊りながら去る。

 二つ目の演目はハンドパン。ハンドパンは2000年代になってつくりだされた楽器で、スティールパンに似ているけど、手でさまざまな音色を出す。音程のあるタブラみたいな気がするときもあるし、表面をしゅっとこすると不思議な句読点のようだし、何かで見た、渓谷で鳴らすピアノのことを思いだした。ピアノからワイヤーが何本となく伸びて、音を化学薬品の貯蔵庫みたいな共鳴体に伝えるやつ。さびしいようなこわいような楽しいような音がするのだ。それにちょっと似ているよね。楽器の音が、とても自然に近いからかな。演奏している人は(Fugaku Yoheiふがく・ようへい)、「面の皮の薄い」繊細そうなお兄さんで、髪は長く、服は黒く、ハンドパンに似合ってる。しかし、この「似合う」というのも曲者で、「似合いすぎる」と埋没しちゃうし、「似合わない」と興ざめだしむずかしい。なんか、「自然」とか「地球ぽい」とか、閉じ込めちゃいけない感じのする音楽だ。捕まえたと思ったら、指の隙間からするっと抜けていくような。その、捉えられないとこが凄くすてきなとこかも。DJ(さとう・たくま)とパソコンで共演したり、電子チェロ(?)を弾いたり、試行錯誤して「自由でいてね」と思いました。あと面の皮厚くね。

 「一週間断酒したそうです」とバラカンさんの紹介を受けて濱口祐自が登場。よく乾いた細かい砂が、風に飛ばされてあらわになった中から出てきたような「Caravan」。「硬いながらもええか、」弾き終えて濱口さんはそんなことを言う。「次はスライドギター、真鍮とステンと瀬戸物」と言ってて何の事だかわからない。指にはめる管のことかーと思った頃一曲弾き終わって、それは「真鍮」だったとのことだ。その次の曲は、なんか「アメージンググレース」の裏バージョンて感じで日本ぽい。濱口祐自は軽く歌った(アメイジンググレースじゃないよ)。チューナーで調整しつつ、ギターの順番を間違えつつ、ルーツミュージックの38歳で死んだミュージシャン(キキトレズ)の曲をやる。2曲。不穏とかわいいのかけあわせのように聴こえたよ。濱口さんのおばあさんは三重県の九鬼水軍の流れをくむ人で、濱口さんは九鬼に行って海を眺め、おばあさんのことを考えるんだって。ランダムに穴を開けた厚紙をいくつもいくつも重ねて、たった一か所光の透ける場所が残ったような曲。過去と現在ってそんな感じじゃない?一か所でしか見えないから鮮やかじゃない?メンデルスゾーンの無言曲集に匹敵するよ、と濱口さんは冗談めかして言ってました。ここで、わたしは立っていられなくなり退場。コーヒーを飲んで入ろうとしたらもう混み合っちゃって入れなかった。人の視線の先に立つことになっちゃうの。盛況でした。

 小坂忠の若い日の演奏シーンが流れる。赤いセーターに大きな白いV字。顔のアップになると「小坂忠」というより、「少年」の方に近い。ロスから帰ってきてこのライヴに参加した小坂忠の娘のAsiahが、「Unforgettable」を、小坂忠とのデュエットで歌う。丁寧な音、隅々まで息が通って、輝くように丁寧。心の音なのだ。「なかよし」(2人の肩を寄せ合う写真がいくつも映る)の音だった。

 小坂忠がLive Magicでうたった「Many River to Cross」が流れ、そのときのガーデンホールの時計が映る。小坂忠は、普段うたわないこの歌を自分のものにしようと懸命に歌う。ステージ横の時計は当時のままだけど、小坂忠はもういない。娘さんのAsiahも同じようなことを言っていたけれど、「いるよねきっと!」と不意に強い声で明るく言い足していた。佐橋佳幸とふたりでつくった新しい歌を歌う。素直な曲。「Just Like You」。娘さんは、お父さんと骨格が似ているなあー。

 さかいゆう(「しらけちまうぜ」すっきり歌い上げる)、佐藤タイジ(「ほうろう」、乱暴でいい!ライヴには乱暴必要!でも「踊りながら」の「ら」がやだ)、スカパラホーンセクション(音が厚い)、「鈴木慶一高野寛」(盛り上げない「機関車」、よかった)、中村まり(レアな日本語歌唱、「夢を聞かせて」)、久保田麻琴(「バイ・バイ・ベイビー」、ホーンで歌が聴こえん)、細野晴臣(「ありがとう」、皮肉な歌詞をバンジョー《西海孝》が和らげ、軽くする)と登場する。んー、音の調べが「ととのっている。」バームクーヘンの様に、煙のように、右端と左端が揃って流れ、絡み合う。これは、整地して音のおうちを立てた人(音楽監督?)の佐橋佳幸Dr.kyonの力なの?たいへんプロっぽく聴こえる。佐橋、ものすごく後ろに退いているのに、素晴らしいギターソロ。ドラムもベースもみんないい感じだ。

 セカンドラインというニューオリンズの陽気なお弔いを、小坂忠が「いいなあ」と言っていたというので、「He Comes With The Glory」と「I’ll Fly Away」。「住み慣れたこの街から故郷(ふるさと)へ帰るだけ、しめっぽくしないでくれ」と、皆がいい演奏でしっかり歌い、舞台の中空に立ちのぼる効果のスモークが、昔あったいい感じのバー、昔あったいい感じのライヴハウスに立ちこめる、うきうきとささやきあう紫煙のようにも見えるのだった。