紀伊國屋ホール 『管理人/THE CARETAKER』

 「背景の壁に窓、その下半分は袋で覆われている。」(喜志哲雄訳)って、どういうことかと思ったら、茶色い麻袋のような布で、窓が隠されているのだった。窓の上の羽目板はむき出しになり、寸胴鍋や脚立や木箱、古くて端が縮れた新聞の束の山、皆ぼろぼろで、ゴミだといえばゴミ、ゴミでないといえば、ゴミでない。ゴミなのかゴミでないのか、それを決めるのは、管理人(ケアテイカー)である。って芝居?

 この芝居には3人の人物が登場する。どこか場末の店で掃除や雑用をして糊口をしのいでいたデイヴィス(イッセー尾形)、そのデイヴィスが店でのトラブルに巻き込まれたのを助けてやって、この「部屋」に連れてきたアストン(入野自由)、アストンに「部屋」の改装を任せ、暮らしを立てさせようとするアストンの弟ミック(木村達成)。

 平面に3つの点があれば、2つの点を結んで、残る一つをその「境界」の外にはじき出すことができる。誰かが誰かの管理人になることで、その二人の関係が、残る一人を排除する。これさ、服装からわかるように、実はアストンが上流、ミックが中流、出自も名前もわからないデイヴィスが下層を表わしているんじゃないかなあ。イッセー尾形、凄みのある好演。でも、ひとりみたいに見える時がある。木村達成は難がない。ちょっと、つまらないかなー。入野自由イッセー尾形の芝居の出来と、自分とを比べちゃいかん。デイヴィスが修道院に靴を貰いに行ったくだりを聴くとき、背中が硬い。背骨柔軟に。「無体な手術をされたせい」とは見えないの。力抜く。聴く。そして病院の事を語るとこは、もっと没入する。この芝居全体が、アストンの手術の事を、どう捉えているか解らない。ドラマ性が薄れてるよ。この部屋自体、芝居自体がゴミかどうか、観客がさいごは問われているんだよね。