国立劇場 初代国立劇場さよなら公演 第104回歌舞伎鑑賞教室 『双蝶々曲輪日記 —引窓—』

 花道に立った羽織袴の端然とした男の人の中に、とつぜん、江戸時代の身振りが忍び込んできて、カクンカクカクキリッと「見得」を切るのだった。「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」の解説は澤村宗之助だ。私の席は花道横だし(わーい)、アナウンスは落ち着いてて茶湯(ちゃゆ)のご用意とかいうし、英語も気持ちよくバリバリだし(いいね!)。遺漏なく宗之助は丁寧な説明をし(二回詰まった)、「基本の女方の姿勢」とか教えてくれる。①肩甲骨を寄せ②それを下に下げ③つま先を内向きにつけて④膝をくっつける。これが基本かー。きついねえ。たいへんだ。立ち回りも見せてくれ、さらさらとやっていた。短い時間で、次の演目とも関連があり、よく考えられている。それから、『双蝶々曲輪日記』の「引窓」についてすごくわかりやすく勘所を教え、ここがよかった。照明を落として、引窓から明かりを取るところを見せて、この芝居が昼(与兵衛=中村芝翫)と夜(濡髪長五郎=中村錦之助)のものだと明確にする。

 きょうの「引窓」で、一番素晴らしかったのは、濡髪長五郎が、人体(にんてい)を変えるため前髪を母(お幸=中村梅花)にそり落とされて、鏡を覗く場面だ。

 与兵衛と色里で知り合い、今は女房となったお早(市川高麗蔵)が、身の上を濡髪に語って、殺した人が悪い人だったので「殺し得」でしたといったとき、濡髪はわずかに顔色を動かして自分の境涯と比べ、憂いに沈む。心がまっくら。人殺しをしたということが重くのしかかっている。もう死ぬしかない。ところが、鏡をのぞくとき、その真っ暗の閉じた心に、鏡が反射するように、なんか、ぼんやりした、月の光みたいなものが射し込むのだ。濡髪自身、そこにみえたものに、すこし驚いている風なのだった。それは、生きたい、逃げたいという心かもしれないし、母の情なのかもしれないけど、でもさ、そういう野暮な説明を超えてる何かで、体の中の暗い洞窟が照らされる。ここへきて、御役について取り立てられた与兵衛が、最初の登場から抑えきれない笑顔、明るい弾みを持っている意味がはっきりする。明るい心と暗い心。与兵衛は無邪気に出世を喜ぶ。十手を磨いたりしちゃってかわいい。かと思えば、濡髪が母の息子だと悟るところ、息を抜いて緊張を取り、芯から分かった感じがしていい。

 中村梅花ってついこないだ「濱松屋のご主人」だった人とは思えないほど(思えないね)「70近い」母だった。昼と夜の息子の真ん中で泣くとこよかった。お早は二色の帯を締め(昼の若草色、夜の黒)、二色の紫の襟元が色っぽい。一生懸命濡髪を説得する。損得ない感じがして、ここが与兵衛の好きになったポイントだなとか思った。

 濡髪長五郎さぁ、せっかく黒衣まで出てきて後ろから大きく見せようとしてくれてるのに、二階に上がる時ちっとも大きく見えないよ。与兵衛は声の出方が怪しい。60代は声の出がいいかどうかにかかっているよ。声たいせつに。それからお早に向かって2回、制するために十手を振り上げるけど(振り下ろしてみせる?)、当節、女の人に向かって2回は多い。あと、最初の義太夫がふし外していたよね。