渋谷TOHO  『君たちはどう生きるか』

 『猫の恩返し』(2002)の、塔の自壊を見た時、そらもう驚いたもんだった。えー、ジブリの若手、塔(宮崎駿)の自壊待ってんのー?頑張って競(せ)ったりしないんだー、そんだけすごいんだー。と、いうような感慨だったような気がする。ちょっとー、も少し頑張ればって思ったような気がする。

 はい、ここに塔が自分を語る、新作が生まれました。

 宮崎駿は主人公の真人(山時聡真)と同じく、軍需産業の一翼を担う、裕福な家に生まれた。田舎の屋敷は広く、戦争の影響をあまり感じない暮らしだったそうだ。けれども真人のこの屋敷に広がる池の水は、物凄く涙に近い。少年は誰にも見られないところで、ぽろぽろ涙を流す。母を火事—空襲でなくすが、次の母(木村佳乃)が一年後にやってきて、胎内に真人のきょうだいがいることを教える。真人の悲しみ。アオサギ菅田将暉)が再々屋敷を訪れる。サギは真人の中の醜い一部分である。火、水、風、そのエレメントの中に母はいて、真人の世界を象っている。森のざわめき、草原を吹く風、すべてが宮崎作品の「これまで」のなかにあり、「これまで」でありながら微妙に違う。親しげでない。「触れられない」。少年は自分を打(う)つ。それは他罰的な、邪な動機なのかもしれないが、私にはなににも「触れられない」じぶんを打っているように見えた。ある日忽然といなくなった大伯父も、宮崎を示している。作品に打ち込むとは、生活の全てを喪うことなのだろう。「触れられない」大伯父。

 この作品に『君たちはどう生きるか』は、すごーく軽く触れられてるだけだが、実は楔、アオサギの羽根を使った矢のように、深く打ち込まれている。これどうかなあ。いままでのジブリアニメでは、子供たち―観客に「与え」られていたものが、今度は自分で「取りに行く」ように仕組まれているのだ。反宮崎アニメだね。

 キャストの中では若いキリコ(柴咲コウ)が印象に残る。この人も真人だよね。木村拓哉の父、もっとノンシャランとやってよかったはず。話は粗く、整理されないまま進む。その分、一瞬先も読めない物語である。