109シネマズプレミアム新宿 『オッペンハイマー』

世界中の人が、実はナイーヴ(世間知らずうぶおひとよしだまされやすい甘い)なのだ。

 ナイーヴは雨の波紋のように同心円を描き、干渉しあう。次第に広がり薄くなるけど、乗り越えあってうねりを作り、雨粒の小さなものは消え、大きなものは遠くまで行く。

 オッペンハイマーキリアン・マーフィー)はナイーヴだ。そのナイーヴな男が、自分自身の天才に引きずり回され、目の前の難題を次々に解決して、思いもよらぬところへたどり着いてしまう。同時代の知性をやすやすと身に着け、理論物理学の泰斗となり、「ナチスより先に」原爆を作り出すため力を尽くす。あの、雨の同心円状の波紋はオッペンハイマーの瞳のようだなー。けど、彼を葬ろうとするストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)だってナイーヴだ。恥をかかされた恨みを忘れず、雪辱を果たし、閣僚になろうとはかる、人の世の複雑・世間知ってものは、こういうナイーヴとナイーヴのぶつかり合いの水面の波紋の中にある。計画が進行し、実験が成功するところが耐え難い。見渡す限りになぎ倒された木造住宅、その下から響く悲鳴や、それを助けられないことを悟って黙然と立ち尽くす人影を見てしまう。(いい気なものだよ)。そこが実は、私の「ナイーヴ」である。あの影の差さない明るい空色の眼もまた、その地獄を見ていることが言外に示される。その眼がいつの間にか、二つの爆心地みたいなのだ。私は爆心地にむかいあってる?自分のナイーヴとむかいあってる?

 クリストファー・ノーランはナイーヴな善悪がごちゃごちゃにこんがらがった物語を作ろうとしていて、もつれ方が成功してるけど、波紋を生むナイーヴ本体についてはどうかなー。絡まりあうように走るレース場の馬群の中から、すーとロバート・ダウニー・ジュニアが抜け出してくとこが、もっとあざやかだとよかったなあ。フローレンス・ピューにも心理的に一瞬で納得できるシーンが必要だったと思うよー。