シネクイント 『異人たち』

どこにいるのかわからない。薄暗がりの遠景の街に、劇的な感じのグレーの雲が幾筋もたなびき、うすく明かりがさしている。朝?高層マンションの窓越しに、外を見る男(アダム=アンドリュー・スコット)の顔がそこに重なる。夕映えの夜?いや、遠くの街のビル群の片面が、赤く光って見えるけど、次の瞬間、日が昇っているように思えた。はじめ男は上半身肌脱ぎなのだが、物語が始まるとラフに身じまいしている。ここんとこ、最初の導入が鮮やかに時間をかく乱する。へぇーと感心するのであった。

 独身で暮らすゲイの脚本家アダムは、同じマンションに住む男ハリー(ポール・メスカル)に一緒に飲まないかと誘われる。最初は断ったアダムだが、ハリーと言葉を交わすうちに親しくなり、肉体関係を持つ。アダムは1987年の両親の話を描くために何十年ぶりかに実家を訪れる。そこで彼は、12歳の時死に別れた両親(ジェイミー・ベルクレア・フォイ)に再会するのだった。ここんとこも、ピンボケ(アウトフォーカス?)の映像を多用することで「死んだ人に会う」のが、だんだん「あり」にみえてくる。ここ非凡だよね。と誰かに言いたい気分だった。

この映画全部が、「時間」、「喪失」、「死」、「傷」を、永遠のなかで「取り返しつくもの」「切断のないもの」「癒され得るもの」として描こうとする。実は気宇壮大なのだ。けど、ここが繊い。あと、クスリによる幻覚がびっくりするくらいありふれていた。限られた「上映時間」で、複雑な両親との和解を語ろうとするために、ニュアンスやディテールが薄い。両親による、ゲイの受容がとても教科書ぽい。もうちょっと人物像をふくらましてもよかったんじゃないの?それに、クリスマスツリーとか、どうなんだろ。山田太一の原作にあるような、おまえは(こどもだから)ハンカチに包んで冷たいビールを持て、っていうような、胸が痛くなるような描写が欲しかった。全体にあっさりしている。情より脳が勝ってました。