下北沢 本多劇場 ナイロン100℃ 49th SESSION 『江戸時代の思い出』

人数分に汁物を取り分けて、いつも貝杓子一杯分だけ鍋に残してしまう癖が私にはあって、これはDNAに刻まれた先祖の飢餓の記憶だなと思う。40年ぶりに読む大作小説の登場人物が、知り合いのように懐かしい。ていうか知り合いなのだ。生きれば生きるほど、記憶——思い出は拡張し、細密化していく。ひとりの人間の脳は、一冊の本のようにあらゆることを思い出として貯めこんでいる。

 舞台上で武士之介(三宅弘城)が、殿の参勤交代の行列にはぐれた人良(ひとよし=大倉孝二)に「話を聞いてくれまいか」と話しかける。武士之介が話しはじめるのは、未来や過去が、らせんのような、二重のような込み入った姿になっている井戸の中と外の思い出だ。

 江戸時代には飢饉が襲来しており、茶屋の3人姉妹(犬山イヌコ松永玲子奥菜恵)は、互いを食べることばかり考えている。疫病もはやり、おえき(坂井真紀)という娘が皆に病をうつす。おしり探偵ならぬ顔が臀部の侍(伊与勢我無)があたりに潜んでいるが、このことですぐに、土蔵や締め切った座敷にひっそり閉じ込められていた江戸期の病気の子供を連想する。可笑しい会話が切れ目なく続き、暴力や残酷をナンセンスに見せる。

 脳がみのすけ演じる教師の中に入ると、すごく台詞が明晰でわかりやすくなる。三宅弘城、すこし口跡わるいのでは。

 いちばんのアキレス腱は、キューセイシュ(みのすけ)だろう。長い芝居で皆疲れているところへ出すならもっとちゃんとやらないと。これ、別役の『やってきたゴドー』みたいだけど、別役に比べてやすい。キューセイシュの話すことも、やることも、「ちょっと出した概念」みたいである。いましも私がドストエフスキーを読んでるからかもしれないが、がっつりいってほしい。神とは?KERAも60代、こわいくらい読み応えのある(また最初から読める)一冊になれ。冒頭の江戸時代を遠くから見つめる歌、非常に楽しかった。