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恵比寿ガーデンホール 『Live Magic 2016』

 あたり!マスターカードの福引で当たりが出て、ガーデンホールの二階からライヴが観られることになった。マッサージも10分サービスだし、ジュースも無料だ。やったー。くじ運の強さに大喜びしていると、次にあたった女の人が説明を一通り聞いた後、「ほかには?」と言っている。きびしい。笑った。じゅうぶんじゃないのー。

 12時に開場してフロアが食事する人々でいっぱいになる。ウサギさんのクッキーとブルーベリーマフィンを買ってしまう。ダイエットしているのに、という心をねじ伏せて気にせず食べる。いいんだ、フェスだから。丁寧に淹れたコーヒーを飲んでしみじみクッキーをみる。袋のセロファンにまかれたオレンジ赤のリボンが、ウサギの首の周りに結んであるみたいだ。見回すと、デートで来てる人もいるし、子供連れの人もいる。旧知の人にあいさつしてる人、皆のんびり。

 ホールの二階に入ってみる。リハーサル中だ。「あれ高田漣かな?」わからない。若い人だ。曲の初めをさらっているのを聴いて、やっとそうだとわかった。徐々に人が入ってきて、高田渡のファーストアルバムを通してうたうライヴが始まった。高田渡は有名なフォーク歌手だけど、知っているのは「値上げ」くらい。Youtube高田渡の曲を探して聴くと、どれも、詩人が若い時から持っている大切な詩集(ページは軽く開いていて、端は黄ばんでいる)を、自作他作を取り混ぜて朗読し、かつ歌っているような気がしてくる。その詩集を手渡されて、読んでいるような。古い活字がせまってくるような。

 高田漣の歌は、とても音楽的。そしてカラフル。大判の絵本を繰っているようである。時々ぴかぴかのその頁に光が反射して手が止まる。『鮪に鰯』の深海のグラデーション。鮪と鰯の間のグラデーション。そして、人と鮪の間のグラデーション。その可笑しみの先に、生と死の不確かなグラデーション、灰色のグラデーションがある。高田漣のやさしい歌は、高田渡を絵に描く。当事者性、衝迫度は薄れるけれど、その絵はとても独特で、面白い。高田渡が胸に抱いていた、明るい空色や、海淵のような遠くのグレーを連想する。

 ラウンジでは、ピーター・バラカン&シン・バラカンの「親子の溝」が始まる。シン・バラカン、初めて見たけどジョゼフ・ゴードン=レヴィットやらエドワード・ノートンやらに似た(いや、ピーター・バラカンに似てるんだけど)目元の涼しい、感じいい人だ。P・バラカンが最初にかけた曲は(マスタング・サリー?)、曲がうねっていて、コーラスが花が咲いたように華やかだ。機材や音源がいいのかもしれないが、ラウンジ全体にうねりがつたわるようだった。これに対してシン・バラカンが選んだのは、ハサミでグルーヴの先を切り落としたような曲。ふうん。おもしろい。片手に持った豪華な短冊を、ぱらぱらっと何枚も広げて見せてくれるようなのだ。ソウルの全盛時代と違った音がする。題名を言っていたけど流暢で聞きとれなかったよ。彼はヒップホップが好きなのだって。ヒップホップかー。何のイメージもないよ。ごめん。たしかmelting potといったと思うけど、それをかけたとき、あれっと思う。裏切ってくる音なのだ。次の展開がわからない。突然ドラムロールになったりする。いろんな曲がありますね。数曲ずつでこのイヴェントは終わり、草臥れちゃったのでちょっとエビミツへ。マーガレット・ハウエルで小さい買い物をする。ガーデンプレイスは親子連れが多い。三々五々連れ立ってくつろいでいる。空は広々、天気がいい。ついでに食事に行くことにした。

 

 ラウンジへの階段をあがっていると、空中をしなって飛ぶ鞭のような音が聞こえる。ひゅー、ぱちっ。弾いている人のすがたは十重二十重の人垣で囲まれてなかなか見えてこない。圧倒的なギターの音。人の首筋と首筋の隙間からやっと見る。ギターじゃなく、ドブロかな、膝の所に水平に置いて、右手で絃を弾き、左手に、何か光る四角なもの(ウィスキーの携帯用フラスコ、スキットルだとネットで見た)を握ってそれでフレットの上を素早く滑らせる。たぶんケルアックとかが好きな若い人にはごめんな例えだけど、子どものころ見た毛糸編みの機械のように見える。スキットルを走らせるたびに、音が編み出されてくる。高さが自在に変わる波打つ音。行者のような長い髪、考え込んでいるような顔つきだけど、時々見せる若い笑顔がとても無防備だ。28歳。お父さんがマイヒーローだといっていた。行ったこともないざらざらしたアメリカの路上の景色を思い浮かべる、パルプフィクションでハニーバニーが強盗に入ったようなカフェテリアだとか、と思いながらウィキをみてびっくりする。イギリス人やん。いや、ケルアックが好きなイギリス人がいてもいいけど、スキットルを大きく動かすと音がうねり、観客の胸深くを撃つ、そして、爆ぜる。ギターに持ち替えて歌う時、じゃーんとひきさげるのではなく、下から上へ弾いて大きないい音を出していたのが印象的だった。手が痛かったのかもしれない。後で聴いたら、右手にほとんど骨折に近いけがをしていたということだった。

 

 バラカンさんのものすごく短い紹介で、サニー・ランドレスが登場。黒の開襟シャツ、グレーのジャケット、グレーのパンツを着て、グレーの髪に細い縁の眼鏡で、かっこいい哲学科の先生みたいである。

 ベースとドラムスとサニー・ランドレスという3ピースなのだが、いきなり音の波にさらわれる。凄い音だ。サニー・ランドレスのギターは胸の少し高い位置にある。一曲目は機材の関係かボーカルが少し埋没して聴こえたが、二曲目のCherry Ball Bluesからはそんなことはなかった。

 サニー・ランドレスと言えば、ビハインド・ザ・ストリングス奏法で有名だからと目を凝らしてみる。よくわからん。左手の弦を押さえる手の外側を右手で弾いていたけど、あれかなあ。だってとても優しくギターを扱っていて、軽く持っているように見え、まるで、ギターを撫でているみたいに、ギターの鳴りたいように鳴らしているみたいに感じられるのである。歌わせるというより、自然に歌っている、魔法のギターだ。左手の小指に透明のチューブ(ガラス?)みたいなものをはめていて、それがスライドギターの音色をつくりだしている。なめらかなギターの旋律、いつまでも聴いていたい、この体の中を揺らす音。唸るギターに翳りのようなものがあって、それがとっても素敵です。

 最後のアンコールに高田漣、Reiなどが参加してセッション。ロングスカートをはいたReiがいかにも若く、幼く見える。でもね、ギターソロ、遠慮しない。さがらない。勝負していた。そこに感動しました。