Bunkamuraシアターコクーン 『世界』

 スナックのミラーボールに、かすかに光。小さい小さい粉雪ほどの光が一つ見える。それは世界に穿った穴みたいだ。

 スナックや、ラブホテルや、台所や、下宿、舞台はさまざまな貌を見せながらくるくる回る。早く回る。その頭上に歩道橋があり、寒そうに登場人物が行きかい、又は立ち止まり、ぼんやり煙草をふかしていたりする。

 これといった出来事は起こらない。町工場を営む一家の父(風間杜夫)と母(梅沢昌代)が離婚しようとしている。止めたい思いの息子(大倉孝二)はスナックのママ(鈴木砂羽)と浮気している。すばやく景色を替えながら、物語は淡々と進む。しかし、どの人物の芝居をとっても、なんだかクローズアップで見ているように心の裡がわかり、歩く姿にはそれぞれの人生の重さがある。大げさでも控えめでもない芝居「そのもの」が提示され、役者はみな役柄「そのもの」に見えた。そこから覗く諦念や哀しみ、変えられない性(さが)を、私もまた歩道橋から、煙草を吸いながら寒く眺めたような気さえする。

 風間杜夫のどうしても自分のことしか考えられない父、離婚を止めるよう息子に言われて、何か身を固くする梅沢昌代、軽薄そうなのになぜか抱擁シーンが胸を打つ早乙女太一、ぶっきらぼうな大倉孝二とのどこにも行きつけない愛を持て余す鈴木砂羽、明るくしている控えめな妻青木さやか(冷蔵庫に寄り掛かっての腕組みシーン段取りにならないようにね)。ケロッとしているようで自分に耐えている娘の広瀬アリス、散々な役回りの高知の青年和田正人(スーパーのシーンでは、自棄の感じがもすこしあってもいい)。ここに挙げない人も皆好演である。ていうか空席がもはや絶対許せないレベルの芝居だったのでした。