そぴあしんぐう 『風間杜夫の落語会』

 イケアのある町。といえば、イケアに行ったことある人なら想像つくと思うが、そういう町だ。大体、私にしてからが、香椎花園より先にある町が、目の端からこぼれちゃってるのであった。

 うつむきながら鮮やかな青と黄色のイケア脇を寒々と通り抜け、カインズ前の信号を渡ると、スシローの向かいのそぴあしんぐうに行き当たり、鼻をすすってホールを見上げる。大きいね。そぴあしんぐうのカフェはフルーツケーキが132円、コーヒー(小さい方)が150円。ケーキもおいしいし、コーヒーも淹れ立て、そして障がい者の雇用が進められてる。オッケー。常勤だといいね。

 テレビで絶叫する新選組隊士だった風間杜夫も、古希だそうだ。あれ(『新選組始末記』)、1977年かー。

 開口一番は桂笹丸。桂米丸の弟子の竹丸の弟子だって。「ポケモンとラップが好き」(ツイッター)、若いねえ。見たとこ眼鏡かけてふわっとした髪型で、建築学科のお兄さんのようだが、本当は経済大学の出身。日商簿記一級。すごい。なぜか袴をはいている。

 噺は「粗忽の釘」だった。壁に打った釘が長屋のお隣に突き出ちゃう咄。最初出てきた女の人が、おくさんかおかあさんかわからない。そして話すとき語尾がワンパターン。高さが揃っているのでひきこまれにくい。損。「お向こう」がどこか悟って「目からうろこだよ」ってとこ大切。ここ大事に言って。お茶菓子が出てきて饅頭を食べ、「うーんおいしい」っていうの、とてもよかった。その場に『居た』。

 落語ってさー、年月かけて面白い話に磨かれているから怖いねえ。それに各人が工夫するからつまんないと「おまえがつまらない」になっちゃう。蒲田行進曲のお囃子が鳴ってさらさらと風間杜夫が登場する。

 ハ ナ カ ゼ ?

 というわけで風間杜夫は一か月に及ぶ風邪の最中だった。なんだよがっかり。と肩を落とす。風邪ひく。ありえない。気を付けてほしい。話は面白い。特に若い時の話が落語みたい。二十数年前に立川談志に誘われて紀伊国屋寄席の高座に上がり、以来落語をやっているらしい。お母さんが楽屋にやって来るマクラは面白いけど、お母さんの台詞にヤマが来るように(3回?)、畳み掛けないとだめ。今日の一席目は「湯屋番」だ。放蕩が過ぎて父親に勘当された若旦那が、出入りの職人の家で居候をしている。居づらくなって(という顔を風間杜夫はしないけど)湯屋に奉公に出る咄。

 もちろん『熱海殺人事件』で私ども高校生は驚倒したわけだけども、2009年の『ありふれた奇跡』を見て、ここでもちょっと驚いた。風間杜夫の台詞が、全部一回肚おちして温もっていた。手渡す言葉がオダノブナガに差し出す草履のよう。

 「うまくなってる」

 そのかげにはこういうことがあったんだねえ。落語って、おけいこなかなか難しいと思う。まずモチベーション、それから「ひとりで」浚う集中力、根気、やってもやらなくてもいいのにやってる「落語が好き」の気持ちの持続とか。

 湯屋の番台に上がって妄想の世界に入る若旦那を、なんか子供になってじぃっと視てる気分だ。若旦那は女中、一人住まいのその女主人、当人と、ころころ変わる。この「ころころ」ってところが風間杜夫の落語の弱みかな。若旦那と湯屋の主人のくだりも変わらないもん。人々が入れ替わっているように見え、なだらかさがない。次の「火焔太鼓」のまくらで話していた城島高原の仮面ライダーショーで、山(丘?)2つ超える時、まず遠くに人の全身が見え、坂を下って次第に下半身が消え、頭が消え、次の山に差し掛かって頭のてっぺんがみえてくるだろう漸近線みたいな味わいがない。ゲストの柳家三三はそこうまい。全部が一筆で繊細なペン書きしたように繋がっている。三三の話は「轉宅」。ほんとに「目から鱗」くらいなめらかで、あっさりしている。ただ「ぬた」だの「おつくり」だの食べる時、さらさらさらっと食べ終わっちゃうけど、ここでもあっさり優先なの?(むかし古い和菓子屋のおばさんが「粋な味よ」とお菓子の試食を勧めてくれてえっ粋な「味」?なに?わからないよ!!と立ってる地面ががけ崩れしそうな気持になったけどこれその延長?ま、そこは「棚上げの函」に入れとこう)お妾さんは色っぽく、泥棒はだんだんにほだされる。煙草屋のおじさんがなー。種明かしとオチのために出てきた人みたいに見えるのだ。びっくりしている泥棒と、嬉しそうなおじさんを、ちゃんと味付けしてほしい。

 風間杜夫の「火焔太鼓」は鼻も通って、すっきりしていた。古道具屋が古ぼけた大太鼓を殿様に所望される話。ただ、もう、オチがわからない人がたくさんいて、残念だなと思いました。