京都四條 南座 坂東玉三郎特別公演 片岡愛之助出演 『怪談 牡丹燈籠』

入場時間の4,5分前に南座につく、こんなに暑いからだろう、もう開場したといっている、劇場の中はぴーんと冷やしてあり、左手に「とらや」の暖簾が見えて、えーとらやでお茶ができるんだなと思うのだ。席に着きながら上を見上げると、やわらかいアールで囲まれた折り上げ天井のうえに格天井があり、壁のヒスイ色の透かし紋様に、列を作ってぽっちり灯る赤い提灯が映えている。すんごい前の席なので、更紗模様の緞帳の織目がひとつひとつくっきりして、畳の目のように見える。きらきら光る横糸が劇場の向こうの端までずっと渡っていくのを、目で追っかけてしまうのだった。

 今日の演目は『牡丹燈籠』。ずいぶん昔、亡くなった勘三郎圓朝役で出ていたのを観たことがある。

 花道の暗がりに、蹲っていたように、生え出たように牡丹燈籠を持つ二人の女が「居る」。一人は飯島家のお嬢様お露(坂東玉朗)、もう一人は、先になり後になりしてお露をかばうその乳母のお米(上村吉弥)だ。あれ、幕開きで船に乗ってた時と気配が違う。足が見えない。みえないけれども下駄の音がする。ここの出、すごく怖い。えー怖い、えー怖いと心の中で言いながら観た。あのさー死人てさ、もしかして倒れていると、体に全く力が入ってないから、足の先なんか「ない」ように見えるんじゃないかな。昔は行き倒れとかも多かったし。と勝手なことを考える。考えてるうちにお露は恋しい新三郎(喜多村緑郎)に、お米に励まされながら心の内を打ち明けるのだった。新三郎は「お露は死んだ」と思いたくない心から、二度までお露にほだされてしまう。人間らしいなあと思う。じゃあ「かわいい、すき」ってきもちでがーっといかないと。それが客席から見たら怖いようにさ。演出の玉三郎はお露に髑髏の面とかかぶせない。幽霊というより「女の念」こそが男を取り殺すという怖い咄にしているのだ。

 これに対して、新三郎の世話をして、それを身過ぎにしている下男伴蔵(片岡愛之助)とその女房のお峰(坂東玉三郎)のシーンはすこし世話場がコメディタッチである。ここがなー。浮き立ってこないよ。これさ、初日八月三日でしょ?玉三郎、台詞きっちりいれないと!もう十八日だよ。玉三郎の芝居を透かして、杉村春子がちょっとのぞく。淡々としている。片岡愛之助は身体も切れ、台詞もよく通り、いい出来のはず、なんだけど、なんかちょっと変。「躰」と「台詞」の間に、薄紙一枚挟まってる。躰の言葉が台詞へ、台詞の本音が躰へ、通じてない。あと小さじ一杯掘れば、開通するのになー。…というちぐはぐで、笑えるところがもひとつだ。幽霊に大枚百両をもらって震えながら金を拾うとこ、金の亡者になってるんだねえ。場面転換の時の太鼓がとてもいい音だった。

 伴蔵の浮気を吐かされる馬子の久蔵(坂東功一)は、慌ててからがとても良い。でも酒飲むとき、もっと目の前のお酒に集中して。おいしいんでしょ?お峰が百両おくれと伴蔵にいうと、これまでのゆくたてが、まるで割れて流れる卵の黄身みたいにどろっとでてきて、すべてが怖い闇に包まれるようだった。あの百両おくれに、これまでの夫婦の信頼崩壊が出ているもんね。