シアターコクーン シス・カンパニー公演 『ほんとうのハウンド警部』

 鏡の中では、もうすでに現実は歪んでいる。

 「間仕切り」の鏡が取られると、舞台の向こうにもう一つ客席があって、そこに演劇評論家のムーン(生田斗真)とバードブート(吉原光夫)がいる。そしていつからか、舞台の上の舞台にはちっとも動かない倒れた男(手塚祐介)があるが、これについて口にする者はいない。キャスト表では「死人」になっていて、足の膝から下がほんとうに力が抜け、「死人」に見える。出色の死人っぷりだ。

 舞台の上/観客席というきっぱりした仕切りが、巧妙に外される。観客席の一観客であるムーンの心を占領しているたった一つの思い――批評家として二番手である自分と、自分の上に君臨する批評家のヒッグズについての屈託――が舞台上で暴れ回るって話かな。バードブートが若い女優(趣里)にちょっかいを出すことで、芝居の中で彼女が演じるフェリシティとバードブートたちの現実も境目を失う。役と本人が混ざる。

 いろんな間仕切りがなくなってわかるのは、作者が評論家に対して好感などまったくもっていないこと、拘りの邪念のためにムーンが罰せられ、境界のなくなった「演劇」の胃袋の中で溶かされてしまうことだ。

 演劇批評家たち、彼らには「実際に第一人者が死体となって横たわるほどの」妄念がある。「精神異常」に見えるほどの。しかし作者は殺人者という役柄すらムーンに与えない。ムーンを「まぬけ」の位置に置く。可哀そうなムーン、まるであのハムレットの「ご学友」のようである。だからさ、ムーンは最初もっとかっこよく、すかしてて、妄念の中で「殺人を犯している」くらい恨みが深くないと。深くないよね。そのせいで成立しないよこの芝居。