東京国際フォーラム ホールC ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』

 「地上のマリア」の出現から物語は始まる。ちいさなハミング。大きな格子柄のコートを着た女(ミセス・ジョンストン=堀内敬子)がしっかりと立ち、歌う。足元はくるぶし近くまで甲皮のある昔風のがっしりした中ヒールだ。上に向けた視線は挑戦的だが、すこしずつ下へと降りてくる。両手は身体のわきに、ひとを迎え入れるようにそっと広げられている。息子。受難。キリスト。ってな感じに、彼女が話の芯、演出の芯となっていることは明らかなんだけど、いまいち「配分」が足りない。この人、マリリン・モンローに憧れるダンス好きの娘でしょ。そこをもっと押さえて、その上であの「母ちゃんの服」を着させられるときの衝撃を演出してほしかった。芝居が生き生きしてくるのは、引き離される双子の片割れミッキー(柿澤勇人)が登場してからだ。それじゃ遅い。ナレーター(伊礼彼方)は演出に「悪魔だよ!」と言われて「ああそうですか」と悪魔の演技をしているが、巧いけど、「ああそうですか」という出来。悪魔って怖いだけなの?ミッキー、ズボン思い切り下ろさない方がいいよ、「8歳じゃない」って我にかえっちゃう。堀内、二幕の「でも老け込んだ」のとこはがっつり歌ってほしい。足らん。もう一人の双子エドワードのウェンツ瑛士は、実際に「子供時代がなかった」分が多分、弱い。観察だ。お母さんの撮った子どもの動画を探して観る。最終景の蒼白な緊った表情が素晴らしい。なのに下ネタの時ちょっと安いよ。品がない。サミー(内田朝陽)お母さんにぶっとばされた泣き声が本物。鈴木壮麻、歌の秘書へのリフレインがいまいち。ここ、いろいろやれるとこやん。木南晴夏声出てる、最後の活人画のシーン、あまり泣かない。一路真輝、もう少し落ち着いた声出して。

 この芝居のエンジンは柿澤、二幕の終りのミッキーは、絵の具をぎりぎりまで絞り出して歪んだチューブみたいになっている。