本多劇場 悪い芝居vol.28 『愛しのボカン』

 「声、でてます」。確かに、誰も彼も、声出ている。客を瞞着するような、嘘のシーンも消えた。でも。今回開場して客席に入ると、青年団みたいに舞台に役者が板付きだ。この状況がつらい。実につらかった。男の子に注目されているのがわかっているのに、知らん顔で女の子同士話している16歳女子のように皆なっている。「舞台上にいる」「何か言う」ことに対して、おそれと厳しさがゼロなのだ。なんとなくプロダクションに入って、なんとなくちょっと輝けたらいいな的な、日常のアイドルな感じである。それは山崎彬が修正しなければならない大事なポイントでしょ。しかも全員だよ。全員アイドル。「声が出る」の次は「届ける」だよ。発声に繊細さがない。クレヨンじゃない、シャーペンの線で、相手の心に届けるのだ。

 芝居は岡本太郎の「明日の神話」がモチーフになっている。芸術を見ること、作ることによって起きる感動、自己燃焼は、ここで「ボカン」(…センスなくない?)と呼ばれているのだが、岡本太郎のあの壁画が「核爆発」をテーマにしている以上、正負の意味・せめぎ合いを、戯曲上で最初からもっと二重に仕立てる必要があったと思う。最後の方の爆発音(大きすぎる)が、観客の心の中で「ウクライナ」に変換される。なんか矛盾してるじゃん。

 ホームレス劇団と、そこに加わる明日野不発(赤澤遼太郎)のやり取りが、中途半端に笑顔で、明日野の観客に向けた最後の台詞も、やっぱり笑顔で語られる。世代的な問題?なんか、欺瞞的に仲間ぶってるように見えるけど。「半わらい」なのかなあ。齋藤明里の衣装、あり得ないよ。Vネックのセーターから、肩が出すぎている。裾からウェストも大きく覗く。いまどき、こんな服装で出る俳優、気の毒です。マネージャー果宮彩子(中村るみ)のアクロバット凄かった。