彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1 彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念 『ハムレット』

「あとからわかる」。この世は舞台、男も女も役者だったとして、そしてすべてが誰かに観られているとして(メタシアター?)、実人生と芝居のちょっと異なるところって、本当のことをずいぶん「のちに」知るってとこじゃないかと思う。吉田鋼太郎は実人生を『ハムレット』の中に溶かし込む。ハムレット柿澤勇人)はオフィーリア(北香那)を心から愛していたのか?オフィーリアの方は?ガートルード(高橋ひとみ)へのハムレットの気持ちは?クローディアス(吉田鋼太郎)は野望だけの男だったのか?ここら辺が全部、「あとからわかる」ようにうまく仕組まれていて、最後しんみりしちゃうんだけど、その分、渦中の人物の心が浅めになって、ぱっと見、食い足りない。ここ、なんとかならない?心持が不明なとこ、もっとかっちりやろう。「尼寺へ行け」は、母ガートルードを念頭に、つねに想起しながら緊密に演じてほしい。冒頭、舞台セットの一部のようになってかたく、茫然と台詞を言うハムレットは素晴らしく、その後も期待を裏切らない。叫び、泣き、苦悶する。美しいハムレットだった、何もかもが。

 あのー、昭和の話で済まんけど、カラーのビニール製の、柔らかいハコみたいのを積み重ねて、くっついたハコとハコの間に小さい穴が開いて、そこをちゃりりと鈴が落ちてく「鈴落とし」っていう玩具があったんですよ。(腑に落ちる)とはこういう感じだなーと思うのだが、カッキー以外の若手、一番下まで鈴が落ちてこん。特に北香那、ハコ5つのうち3まで落ちてるけど、それで満足してる。しかも(ふふ、やってやりました)って思ってるのが声に出てる。まだできるやろー。ハムレットをもっと一途に愛する。演出的には、オフィーリアの狂気のシーンが長すぎると思う。高橋ひとみ、下手奥に王とともに去る時小走りになるのがサメル。この役はどういう風にでも演じられる。高橋ひとみがどうしたいのかがいまいちわからん。「腑に落ちる」をもっと大事にね。正名僕蔵のポローニアス、よい造形だった。ホレーシオ(白洲迅)、まごころで下へ鈴を落とせ。レアティーズ(渡部豪太)前半の、妹をかわいく思うシーンとても大切。でないと後半の怒りが続かない。フォーティンブラス(豊田裕大)声を大事に。