東京芸術劇場 プレイハウス 『未来少年コナン』

最初に登場する白衣の人物たちは、紙の上に作り出した科学を共有し始める。そして、決して責任を取ろうとしない。ぷんすか。もしかしたら、ひとりの人間の頭脳が始める理屈ゲームなのかも。科学はとうとうカタストロフを呼ぶ。彼らの囲む机は二つに割れてしまうし、科学兵器によって、地上の陸地の大半は沈んでしまうのだ。ここんとこが!人間に害になるからという理由で鮫を仕留めた、カタストロフの生き残り、コナン(加藤清史郎)に照応する。「殺す」、それはいったい、どういうことなのか。

 モンスリー門脇麦)と部下がコナンのおじい(椎名桔平)に向けて銃を撃つと、世界には小さく穴が開く。その穴はみるみる拡大して、災厄がそこから、すべてこちら側へ侵入してくるように見える。虫を殺すこと、鮫を殺すこと、その先に、大量虐殺がこちらをうかがっている。インバル・ピントは、敵を殺さないコナン、宮崎駿農本主義を、うつくしく舞台化する。コナンとラナ(影山優佳)の水中シーンは幻想的で、コナンの鮫にはびっくりだ。そしてすばらしいダンス表現だったよ。

 でもね、作品の腰が決まってないのさー。日本語がまずい。のろい。特に最初の方、アニメーションリスペクトなのかなと思いそう。子供がこの芝居の主たる観客なのかなと思いそう。かとおもえば、モンスリーの独白はくぐもっていて、聞き取れない。まずいよー。モンスリーのキャラぴったりなのにー。みんなもっとはきはき台詞を言わんと。歌は心持が伝わるので悪くはない。ぎりぎり。心持に特化したほうがいいね。コナンとラナは、性別のない(砂たちのように)固い友情、愛で結ばれている。ピュアに突っ走れ。一方、この作品ですごく大切なのはダイス船長(宮尾俊太郎)とジムシー(成河)だ。船長、もっと台詞明晰に。そしてどんどん目立って。ダイスとジムシーが弾まないと、この芝居沈んじゃう。ダイスの身体表現素晴らしいのに、どうした!はじけろ!何の遠慮もいらないよ。

 かつての「コナン」の日本は、いつのまにかちいさな穴の開いた国になった。ずるずると進むその事への批判も、すこし遠慮っぽいね。