下北沢 シアター711 TAAC『静かにしないで』

 「セル」(細胞、小部屋)に閉じこもり、ケータイから目をあげてにこやかに世界と交流して見せ(交流したふりをして)、またケータイに戻る若い者たち(タカイの世代)が、『社会』に気づき、社会化を図ろうとする、苦しい、しかし希望のある話だよ。登場人物たちは大声で名前を名乗る。「皿海優朔(小林リュージュ)」「皿海律(永島柊吾)」「碓井アトム(高畑裕太)」それは苦しい絶叫だ。彼らがなぜ苦しいか、絶叫するか、それはね、「向かい合う社会がない」からなのだ。現実感や共感が薄い、あるいはまったくない若い者の「セル」が、どんだけきついか。それをトゥレット症のしゃべれず、思ってもみないことをしたり、言ったりしてしまう弟律が象徴する。「社会的に不器用」、若いものすべてに言えるよね。高畑の演じる「ウーバーの人」も、ちゃんと姓名を持っている。

 けど、この話をこのような形でしめるのどうよ?『Good Boys』にあった脚本の深みがフラットになってるよ。タカイ、もしや、諦めた?そして私は、諦めた人に応援チケット代払った?もう一本余計に芝居みられるのに?しっかりしなよ。

 俳優は脚本に真向かいに向き合いすがすがしい。でも怒鳴りすぎでとてもうるさい。劇場ちいさいんだよ。小林リュージュ、包丁の研ぐ角度が違ってて嘘っぽい。卵100くらい使ったのか。練習しないとダメ。歌舞伎の若手は「1000回でも煙管でタバコ吸え」っていわれるんだよ、同じことだ。歌舞伎に負けるな、志を高く持て。「ウーバーの人」が登場しても、いきなり「へんなひとですよ」という情報を目が発しててつまらない。碓井が釣り込まれていく過程がこの脚本の中で最も弱い。がんばれ。

 律が母の事故について語る時、この場がはじめてなの?そこがわからん。「ゆるしてもらえるとはおもっていません」重い言葉だね、また言うけど客入れで鳴らし続けているカラスの声と横断歩道を渡る人々のリピートがうるさい。「キメ」なきゃだめだよ。「セル」を開く、とてもむずかしいけど、健闘している。トゥレット症の扱いは難しい。消費しないようにしないと、そのためにはタカイがもっといい作家にならなければ。