新国立劇場小劇場 『誰もいない国』

 勇気ある。作品に、演出に、俳優に、プロダクション全部が「勇気プロジェクト」だよ。作家の心の芯、作品の奥底、極北へ近づいてゆくじりじりした歩み、ほんとに怖く、すごいなと思った。かかわりあう、そしてかかわりあわない、四人の男。台詞は細かくカットした宝石に乱反射する景色のようだ。

 私にとっての主人公ハースト(柄本明)は、おそらく無頼な生活をしてきた人。男色、覗き、母子相姦、不倫、けれども彼には一つも傷跡がない。彼はぱりっとしたブレザーを着てこざっぱりしている。彼はお金持ちだ。確かにハーストについてたくさんの「性交渉」が匂わされているが、ハーストは誰とも「関係」を持っていない。全ては閉じ込められている。写真の中に、壺の中に、水の中に、封じ込めたものが騒ぎ立てる時、彼は酒を飲む。登場したハーストはウォッカを何杯もあおる。よっかかって体が斜めになったまま、めちゃくちゃに飲む。観ながら考える、もしかHirstって、Thirstを隠しているの?水には深い意味がある、ハーストの家に来たスプーナー(石倉三郎)はもう一人のハーストだろう。誰とも関わらず生きる傷つかない男はノー・マンズ・ランドに辿り着く。そこにはひっそりと水の景色が広がる。死んだ男の見る景色、誰もいない国が。

 スプーナーはみすぼらしい筈なのに、石倉三郎がすっきりしているために立派に見えちゃう。衣装もうちょっと考えて。フォスターの平埜生成はきっちり役割を果たしているけど、女っぽくてもいい、体の中に棲む人に、巾があったほうがいいもん。ブリグズ(有薗芳記)の「パンを切ってくる」は刃物の連想があるので、もっと怖い感じがほしい。柄本明台詞忘れないように。水べりの急坂の草を握る手をあっさり放して、思い切りよく死へ滑り込むような勇気を感じる終幕。