2013-01-01から1年間の記事一覧
モリー先生(加藤健一)がエッグサラダを膝に載せている。力の入らない指でスプーンをつかんで、サラダをすくおうとする。一回。二回。あきらめる。今度はサラダのカップを口元へ近づけようとする。無理だ。 モリー先生は大学の社会学の教授だった。七十代の…
少女たちの夏服の、うすいローンで出来ているようなスクリーンいっぱいに、おもちゃの戦車が映し出されている。少女が通るとスカートが揺れ、スクリーンが揺れる。ふわりと戦車も揺れる。繭だ。 舞台は四角く、一面砂に覆われている。三々五々、少女たちが舞…
曾根崎心中、1703(元禄16)年初演。近松門左衛門の代表作だ。本当にあった大坂曾根崎の心中事件に材を取り、天満屋の遊女お初と、醤油屋平野屋の手代徳兵衛が、恋の成就を心中に求める悲劇の人形浄瑠璃である。 「この世の名残。夜も名残。死ににゆく…
席に着くなり、舞台セットを見て、顔がほころんでくるのである。白いソファ、差し色の薄緑のクッション、掃出し窓の外の、さわやかな色合いの寄せ植え。目の喜びだ。住宅雑誌の、きれいな個人宅のようである。 ハーパニエミのマグカップを手に、この家で繰り…
劇場に入ると、渋谷駅の喧騒の中にいる。 「1番線ドアがしまります」「シブヤー シブヤー」「駈け込まないでください」「シブヤー、ご乗車ありがとうございました」 なに線の電車か聞き取ることもできないし、前後の関係もわからない。音の海を漂流する。 …
紀元79年8月24日、ポンペイの時が止まった日付である。ヴェスヴィオ火山で大噴火が起き、山を流れ下った火砕流が街を覆った。逃げる余裕もなかった。食卓の上の卵や切れ目の入ったパンはそのまま化石となり、家々の装飾の壁画は彩色鮮やかに残り、街角…
攪拌!雷が鳴って激しく雨が降り、やがて止んでいくけれど、まだ客電が落ちない。一人の男が迷子のように客席から舞台に上がり、歌う。 男の名前は水野凡平(中川晃教)。ポンペイ遺跡の小さな劇場オデオンへ、ある手紙の宛先の女性を訪ねて、宮城からやって…
宮澤賢治が苦手。真面目で真摯。特に童話。授業を一回もさぼらない学生の卒論になる。西洋名の子供たちも気恥ずかしい。ちょっとむりです。と何度も本を閉じた。『土神ときつね』を読むまでは。 いのころ草の茂る小高いところに、一本の女の樺の木が立ってい…
ついこのあいだまで刀を差して歩く人のいた国で、心理小説を書き、飛行機を設計する。維新からたかだか70年である。すごくもあり、無理でもある。日本は無理している国だった。そして、いつでも無理をしてきたのである。 その無理を支えるのは、堀越二郎(…
縦に5段、優に30列は並ぶ舞台の幅いっぱいの銀色のコインロッカー、照明が小さな白い三角形をいくつも作りながら舞台を照らす。盲人影破里夫(古田新太)が歌を歌うと、その明かりがだんだんに薄れ、破里夫の上にだけ落ちる。それがしぼりにしぼられて消…
1940年代半ばのトーヴェ・ヤンソン。つまり30歳くらい。抽象的な裸婦を描いた油絵の画架を左手に、古ぼけただぶだぶの上着を着て立っている。胸に大きな裂け目、その下に特大のポケットがついていて、これも破れ目がある。袖口から、ストライプのジャ…
「一人の男が金をもうけようと、チェコのある村を出立し、二十五年ののち、金持になって、妻と一人の子供を引き連れ、戻ってきた。その母親は妹とともに、故郷の村でホテルを営んでいた。」(新潮文庫:窪田啓作訳) カミュの『異邦人』で、主人公ムルソーが…
燃えない布を発明。うなぎを宣伝。日本で最初に洋画を描いた。日本の貿易不均衡を憂える。いろいろありすぎてどんな人だか知れないのである。平賀源内(1728~1778)。エレキテルを修理復元した人でもある。 これにたいして、杉田玄白は、オランダの…
メビウスの帯。紙テープを一回ひねって、もう一方の端に糊付けするとできる輪っかの、テープの真ん中を鉛筆でたどっていくと、あら不思議、表と裏がありません。 「ドレッサー」は、そういう芝居に見える。 腹に響く爆弾の炸裂音の中、今日も舞台が幕を開け…
暴力はどこからやってくるのか。一つは津波や地震のように自然から、もうひとつは争いや戦争のように、人間が相手を見てしまうこと=視線から。通行人1(山西惇)が通行人2(金成均)にステッキを振り下ろすのは、じっと見ていたからというのがはじまりだ…