パルコ劇場 『国民の映画』

 

ヒトラーは960平米の執務室を欲しがった、ということを思い出しながら広壮な邸宅の一階のセットを眺める。ゲッベルズ(小日向文世)の家だ。大きいのに貧寒としている。一階なのに地下室みたいだ。第三帝国の文化を統括する彼は、今日パーティーを開こうとしている。映画関係者を招いて、大計画を発表するのだ。

13人もの人物が次々に舞台上に現れる。それぞれの人物の名前と経歴を必死で反芻している間に一幕が終わる。皆、権力に群がる人々だ。名前は覚えられないが、どんな人間かはよくわかる。

みているうちに、ゲッベルズの心の地下室へ降りていくような気持になる。粗末な木の階段、降りてゆくほど階段はせまくなり、一番下はつぶれてしまっている。やりにくい役だ。繋がりがつけにくい。二幕、話し続けるゲッベルズの顔色がだんだんに土気色に変わる。しかし彼が考えを変えることはない。怖すぎ。怖すぎついでにもっと怖くしてもよかったのにと思う。ゲッベルズと妻マグダ(吉田羊)の心理は、ヒエロニムス・ボスの快楽の園のことをちらっと思わせる。奇妙な植物のような塔がたち、鳥の口から人の身体がのぞき、泉から女たちが現れるところ。そんなところをさまよう二人をおいかけたりぐるりと向かいへまわったり、奇妙なアングルでとらえてもよかったのではないだろうか。けれど、じっさいには、お客がとても、笑いたがっていた。むずかしい所だね。

理想の妻を演じ続けなければならなかったマグダはとても興味深い人だった。そんなこといったら落ち目のゲーリング渡辺徹)も、なにがなんでも映画を作りたいヤニングス(風間杜夫)も、なぜか現れるケストナー今井朋彦)も、みんな興味深い。興味深い人が出すぎである。こころの地下室まで、階段で行く話か、それとも深い迷宮なのか、作っている人も決められないように見えた。