赤坂ACTシアター 『海辺のカフカ』

 バスやトラックや公園や神社、書斎や自販機や図書館が、透きとおった大きな四角いケースに一つずつ収められている。蛍光灯で照らされ、中のものは皆くっきりしている。とても人工的な感じ。観念的。標本だ。このガラスケースの世界の全てが、とじこめられていて、とじこもっている。中でも小さなケースに入って登場する青い服の少女(宮沢りえ)とカフカ少年(古畑新之)が注意を引く。少女の視線はケースを忘れさせるほど強い。とじこめられているのか?とじこもっているのか?少年は父親から逃れ、少女は死んだ恋人の思い出から逃れることができない。彼らは標本であることを超えて、発泡水のあわのひとつぶの中にいるように見える。それにつれて周りの人々も装置も、浮かび上がっては消えるあわが、互いに近寄ったり遠のいたりするさまを思い起こさせる。ナカタ(木場勝己)さんの物語とカフカ少年の物語は、ナチのアイヒマンの行為が語られ、ジョニーウォーカー(新川將人)が猫を殺すシーンでほとんど一つに溶けあいそうである。激しい暴力と、それを思う想像力。しかし、これら二つの物語の気泡のひとつひとつは、じつは「うすぐらく、まがりくねった」腸のような迷路に内包されていて、たまさか出会うのである。「とじこめられ、とじこもっている」少年と少女が、時空を越えて愛し合い、迷路を切り裂いて向かい合うことで芝居は大団円を迎える。

 二度目にコーヒーを出すカフカのおぼつかない手つきに、不器用な稚ない愛が詰まっていて、胸があつくなった。星野(高橋努)青年好演。

 劇場を出ると、芝居同様霧雨が降っている。木目模様のタフタのような雨だ。世界の果てに降っていた雨だ。