シアター風姿花伝 パラドックス定数 第48項 『四兄弟』

 四兄弟は、暴虐の父をころすことで、隷属の苦しい状態から抜け出る。最初は暴力、その暴力を否定することはできない。ソビエト共産主義レーニン。あっそうかふーんと発見があり、そこが目からうろこ。レーニンスターリンフルシチョフは暴力から生まれていたんだねえ。そして四兄弟の、可哀そうな感じ。

 俳優たちは渾身の芝居をし、作劇は寓話的に、しかし巧妙に史実と現実を踏まえて進行する。これね、こういう芝居が好きな人、いると思うんだ。巨視的な物語を微視的に語る。キャビアの缶を配る三男(井内勇希)、知恵の輪をずるして(なにしてるか見てもよくわからなかったが、ゴルディアス的な?)外そうとする四男(植村宏司)。そして死んだはずの圧制家次男(西原誠吾)は、バツ印のマスクをつけて物置に居ただけだった。あれ?見取り図みたい。ええとね、登場するマシンガンに重さがない。台詞の一つ一つに、重い台詞、軽い台詞の別がなく、すべて日常のように発せられる。言葉は空を切り、赤いノートを掲げる長男(小野ゆたか)、「皆」を脅し上げる二男、銃を下げさせる三男、見渡す限りの麦を見る四男の、「喉の搏動」が感じられない。とすると、空間自体の搏動など、とっても捉えられないよ。巨視的な視点の冷淡なとこ(殺された死者たち)、微視的な視点の都合のいいとこ(兄弟に訪れた死が軽く、彼らの絆が深い)が気になっちゃう。愛憎や母や暴力が寓話をぶった切るようにアップで見えた方がよかった。この芝居では、役者はこれ以上もう演じようがない。ある意味完成形。赤いノートをつけたレーニンを、もうちょっと理知的に演じてほしいくらいのもの。作家は、もっと微妙な感情のあやを描いて。つまり、喉がひくひく脈打つとこが、感じられるようなパートが必要。そっ、頬のかすかな震え、睫毛にあたる風、そっとしかめた眉を見つめる視線がないです。